一般的に観れば、カルマの法則による作用はとても分かりづらいと思います。
そのため、カルマの法則は嘘・無いと考える人も多いでしょう。
「良いことをすればするほど明らかな良いことに恵まれる」という事であれば、誰でもカルマの法則を認知し、他者のための善行ができるだろうに…と感じる人は多いです。
ただ、そもそも、カルマの法則には、多くの人が認知しづらいよう動く作用があり、また、その作用がとても大切です。
今回の記事では、なぜ、カルマの法則は分かりにくい方が良いのか?についてお伝えいたします。
カルマの法則が分かりやすい世界
良いことをすればするほど収入が上がり続け、欲しい物が手に入り、何でも言うことを聴いてくれる恋人ができ、子供が自身の望んだとおりに育ってくれる…
仮に、この世がそのような世界であった場合、人間の利己性は歯止めを利かずに高まり続け、成長の仕組みは成り立たないでしょう。
「自身の善行に対し明らかな良いことが返ってくるのが確定している」という状態は、単に、我先にとお金を拾うような感覚で善行をしているのと同様であり、これでは人類は守銭奴と同じような水準での意識のまま停滞することが明白です。
そのため、カルマの法則は常に人々の認識の外側で働くようになっています。
その結果、このサイトでもお伝えしているような、自身では把握しづらいような絶対的価値の高いものが与えられています。(絶対的価値の高いものに関してはこちらの記事でもお伝えしております)
次に、カルマの法則が常に人々の認識の外側で働いているとはどういうことか?についてお伝えいたします。
人間の期待を外しつつ、未来のために必要なものを与えてくれている
「何かを期待している場合に限って、その期待しているものが得られなかった」
そんな体験をした方はとても多いのではないでしょうか。
これは、そもそもカルマの法則には人間の期待を外すように動く作用があり、その作用によって人間の欠点克服へと導いているために多くなる現象です。
例えば、偶然の利益を期待する傾向のある人が、実際に偶然の利益を得られてしまうと、より一層、偶然の利益に頼るような思考に陥ってしまいます。
そうなると、出来事周りの因果関係をしっかり理解できず、学びにおいて停滞する結果になるでしょう。
(例 宝くじ当選を期待する人が実際にそれが得られてしまうと、偶然によって利益を得たので、他の100個ある偶然性の高い詐欺話の全てが利益に繋がるように思えてしまい、しっかりとした事実関係の分析ができなくなる)
このように、期待しているものが期待通りに得られることがずっと続けば、人間の学びはめちゃくちゃになってしまうでしょう。
そのため、カルマの法則は偶然の利益を期待している人に対して、その期待を外すような出来事を起こしていきます。
宝くじの場合を例に用いると、宝くじを買っても当選せず、しかも宝くじを買った事によって当選を期待している最中、日頃の仕事が逆に億劫になってしまうなどの状態を経験します。
そして、宝くじが当選していない事が分かった後に、「やっぱり地道に働くことが大切だ」という思いが湧きあがったりするなど、こうした一連の流れを経験させる中で、カルマの法則はその人に対して道理を学ばせています。
人間は万事、このように様々な期待(盲信)を外される中で、道理を学んでおり、これらはカルマの法則が分かりにくい事による恩恵でもあります。
また、これらのプロセスで得るものは必ず未来に役立つ絶対的価値の高いものでもあります。
その時は理解できないが、未来に役立つものが得られる
宝くじを例に用いると、多額の当選金には素晴らしい価値があるとその時点では思っているので、「地道に働くことを厭わない性質」の価値は分かりません。
そのため、宝くじを外される体験の中で、この地道に働くことを厭わない性質が少し得られても、そこに価値を観ることはできないでしょう。
しかし、この人の未来においては必ず、地道に働く中で、自身にとってやりがいがあって、かつ、多くの人の役に立てることが見つかることになります。
カルマの法則は、その人の長期的未来にとって役立つものを与えていくからです。
宝くじを外されるだけではまだそこには中々到達しませんが、例えば、宝くじを買うお金を寄付にあてて誰かの役に立てていった場合、働くことを厭わない性質どころか、いつしか、働くことを最高の楽しみにできる性質までも得られるでしょう。
こうなると、知性・能力向上は留まる所を知らず、偶然の利益に頼ることなく、あらゆる事において確かな選択ができるようになっていきます。
絶対的価値の高いものは長期になるほど価値を放つ
人間はこの世の80年ほどの生だけではなく、何万年以上も生き続ける存在ゆえに、より一層、「地道に働くことを最高の楽しみにできる性質」の価値が高いのです。
80年スパンで人生を眺めるのと、1万年スパンで眺めるのとでは、価値基準は大いに変わってきます。
長期的スパンで観たら、幼少期に汚いものを口に入れて病気になり、免疫が高まったことにより、大人になった時に強い身体が得られたので、結果として良かった、などの事があります。
これと同様に、この世においては魅力を感じないものであっても、長期的であるほどに価値を発揮することがあります。
それが、このサイトでお伝えしている「絶対的価値の高いもの」という概念です。
僕達、人間には想像しがたい事なのですが、こうした「期待を外す中で、その実、絶対的価値を与えてくれる」といった事はどこまでも続き、無限の知性の探究ができるようになっていると思います。
ちなみに、カルマの法則に関する勉強会・お話し会を毎週の土曜日夜7時00からオンラインで行っています。参加料は基本的に無料でして、特に話したくない人であればラジオを聴くようにご参加頂くことができますので、ご興味のあられる方はご検討ください。
(僕とその時の参加者様との様々な会話の中で、役に立つ何かがあれば幸いに思います)
たかひろさん こんにちは また質問させ下さい。
カルマが分かりずらいのは、カルマの種類には「支持業」「妨害業」があり、この2種類の返り方をするからだそうです。私にはよく意味が分かりませんでした。
たかひろさんの言葉で「支持業」「妨害業」の例を人間関係に例えて説明して頂けると幸いです。
例えば、Xと言う会社に課長のAさんと平社員のBさんがいます。
AさんはBさんの事が嫌いでBさんにだけ有休休暇を認めなかったり、勤務評価をわざと下げたりした上司としての権限を使ったイジメ(パワーハラスメント)をしていた場合です。
この例の場合ではAさんに対して起こる「支持業」、「妨害業」とはどんな事が起こるのか、そしてBさんに対しての「支持業」「妨害業」でどんな事が起こるのかのでしょうか?
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
僕は「支持業」と「妨害業」という言葉を知らなかったので、調べてみました。
貴重な機会を頂き感謝いたします。
調べてみた結果、あまり支持業・妨害業などの言葉でカルマの法則を理解しない方が良い、と考えるにいたりました。
というのも、支持業と妨害業は、支持・妨害といった「物的な意味での損得という概念」が付きまといやすい単語でして、この世の物質的尺度を超えた精神の進歩を促進するカルマの法則とは相いれない要素が多いと感じています。
この用語を使うと、例えば、怪我をして松葉づえ生活をする事になったなら、それは妨害業で、収入が上がったなら、それは支持業、といった形で認識しやすくなるのですが、実際は、今、怪我をして松葉づえ生活をする事が、未来に障害を持つ人達への共感性に繋がることもあります。
逆に、収入が上がった事で過剰に自尊心が増し、無知(本来の事実関係が認識できない部分)が増えたのであれば、それは怪我をする以上に長期的な大きなリスクをはらむこともありますね。
そのため、僕としては支持業と妨害業といった言葉を使わない方が良いと考えています。
仮に、この言葉に根本的な定義があり、しっかりとした意味があっても、その言葉が出回る内にいつしか「自身の意に沿うことが起これば、それは支持業」「自身の意に沿わない事が起これば、それは妨害業」と考えてしまう人が多くなるものと思われます。
ですので、僕からの回答においては支持業・妨害業という単語を使わずに解説させて頂きますね。
>>Xと言う会社に課長のAさんと平社員のBさんがいます。
AさんはBさんの事が嫌いでBさんにだけ有休休暇を認めなかったり、勤務評価をわざと下げたりした上司としての権限を使ったイジメ(パワーハラスメント)をしていた場合です。
この例の場合ではAさんに対して起こる「支持業」、「妨害業」とはどんな事が起こるのか、そしてBさんに対しての「支持業」「妨害業」でどんな事が起こるのかのでしょうか?
この場合ですと、Aさんの自我には総合的には「公平性に欠けた自我」が増し、その自我は正当な判断を下す能力に欠け、その損失を受ける中で自我(カルマ)が解消されていくでしょう。
細部を観ていけば、一例として、「感情的な判断をしてしまう自我」「権威を笠に自己中な行動をとる自我」「相手の気持ちに鈍感な自我」などがそのイジメにより形成されるか、元々あるその自我がより分厚くなり解消しづらくなります。
その結果、Aさんはより一層、真相とはかけ離れた錯覚に満ちた生き方をしていく事になり、物事の事実関係を把握できない状態となります。
それは日々の発言・立ち振る舞いに現れ、Aさんの人格や能力を疑う人達を増やしていくでしょう。
ただ、基本的には、現在の世はかなり多くを錯覚をベースに成り立っておりまして、それゆえに、錯覚に満ちた自我(公平性に欠けた自我)を元に生きた方が仕事上、上手く立ち回れるなどの事も起こります。
どちらかというと、Aさんのような人物の場合、何かの気まぐれで善行をした場合の方が、「イジメていた部下などからの過去の所業のリーク(暴露)、により課長の職を降りる」といった事が起こりやすく、カルマを解消し、より賢明な自我を得る(未来のため)にはそちらの方が良い可能性は高いです。
(ただ、仮に、Aさんが善行をしたことで自身の過去を払拭するために、過去の所業が暴露されるような事態が起こるかもしれないと、覚悟していたならば、それが起こる確率は減るでしょう)
イジメを受けたBさんに対しては、被害相応に絶対的価値のあるものを備えた自我が形成されていきます。
この場合、Bさんには、Aさんのような事を絶対にしないという考えの元に「公平性の高い自我」が形成され、他の一例としては「他者の威圧に対する耐性」「権威に対する盲信の減少」などの価値ある性質を持つ自我なども増しています。
(ただ、この場合、必ずBさんにはAさんから受ける仕打ちにより解消される必要があった自我というものがあり、例えば、それはAさんが持つような、”権威を笠にきてしまう性質の潜在的自我”です。ですので、Aさんは今世でその自我を解消していなければ、死後か来世においてBさんと同じ立場に置かれるでしょう)
その結果、解消されるべきものが解消されたので、会社を辞めるという方向に向かうこともありますが、この場合それはBさんにとって良い展開だと思います。
たかひろさんありがとうございました。大変分かりやすかったです。
もう少し人間関係を俯瞰して見た場合での解説もお願いします。俯瞰する為、登場人物が多くなりますが先程の例の話しの続きになります。部長と課長は一人の為、役職が被る人のみアルファベットを入れました。
Xと言う会社に社長、部長、課長、
D係長(前の会社で部長、課長ともに知人で二人に声をかけられX社に入社、部長や課長についてどういう性格か良く知っている)、
F係長(部長に声をかけられ入社)、
係長Y(W会社からの出向)、
平社員B、平社員Tがいます。
社長はいつもは会社にいません。社長は会議の時は役職以上(部長、課長、係長)とは顔を合わせる機会はありますが社内の事はC部長に任せていました。
なので実質最高権限を持っているのは部長であり、部長を補佐するのは課長なのですが二人は犬猿の仲です。そしてこの部長と課長ともパワハラで部下に冷たく当たるので係長クラスの社員は数年で退職してしまいいつも人材不足の会社です。勤続10年以上の社員は部長、課長の二人のみで二人は犬猿の仲ですが会社運営の為には二人は協力して行くしかありません。他の係長クラスの社員もまだ勤続3年目の為、会社運営についての知識がありません。
今年に入り係長が3人辞めた為、関連会社W社の平社員がX会社には係長として出向して来ました。係長Yさんは20年以上のキャリアがあり努力家で仕事は出来るのですがいつも新入社員や後輩をイジメYさんのいる部署ではいつも新入社員や後輩が辞めてしまい、Yさんの上司であるUさんを部署替えしたり人事異動の調整はするのですがどの部署にYさんを移動させてもYさんが新入社員や後輩をイジメてしまいYさんの扱いに困っていました。そして関連会社X社で係長クラスの人材がいないと知りYさんを3年の任期で出向させました。X社でY係長の上記の事情を知っていたのは部長以下の役職と平社員T、平社員TとY係長は友人でした。なので他の平社員は上記の事実を知りません。またY係長は上司や係長クラスの同僚には良い対応をするのですが平社員には厳しく、仕事上の質問を受付なかったり、自分の気に入らない部下には不当評価をします。Y係長があるプロジェクトの責任者になり、そのプロジェクトは社内選抜のテストで平社員を抜擢するルールになっていましたが、テストの内容をママ友の平社員Tにのみ教えていました。(不正)、BさんはY係長からも嫌がらせを受けていました。
課長はこの会社創業時からの社員で1番の古株です。入社2年目に部長が入社し、自分より先に昇進し、今は部長は上司であるため部長には気を使って顔を立てていますが部長の事を嫌っています。Y係長が平社員にイジメをしているのを知っていましたが注意しませんでした。しかしD係長だけに冷たく当たっていましたが平社員Bが入社し、その後、ターゲットを平社員Bに変更しました。
課長はBさんの事が嫌いでBさんにだけ有休休暇を認めなかったり、勤務評価をわざと下げたりした上司としての権限を使ったイジメ(パワーハラスメント)をしていたいました。Bの直属の上司はF係長です。実はF係長は課長がBにターゲットを変えた事を知っており、傍観していました。そしてBはF係長に課長の事を相談しました。そしてF係長は課長は以前も自分が気に入らない部下に対し同様の行為をしていた事を告げ、課長とはこの件で話しをせず、事態は深刻であり自ら部長にパワハラの実態を相談する様に伝えました。(平社員Bが直接、課長に訴えてもイジメが酷くなるだけで、上司である部長から注意して貰う以外方法がないと)
そしてD係長とは親しくしない方が良いと告げました。
ですが部長は自分のミスを認めても、書類上の手続きに修正をしなければならず、書類上の手続きを課長に一任していた為、自ら自分が嫌いな課長に自分のミスを修正させるのは課長に弱みを握られる事と恐れ、この事実を揉み消した事がありBは部長が自分のミスを隠す所がある事や社内アンケートでは自分の評価を気にしており、自分の評価が悪いと平社員を集め自分の感情で喚き散らした事がありが(因みにこの社内アンケートは平社員が上司を評価する物で部長でも見てはいけない物でした。平社員は強制的に無記名でアンケートを受けさせられます。)部長を信用していませんでした。ですがF係長は部長は口が堅く信頼の置ける人だから大丈夫と言っていました。この会社は部長室と課長、係長の部屋は別になっておりました。
そしてBは部長室で部長に相談し、話しを聞いた部長は課長のした事に大激怒し、書類上でBの訴えの事実確認をすると直ぐ課長を部長室に呼び出すのではなく、係長と課長の部屋に入って行き、部下が沢山見ている前で課長を激しく叱責し、課長と部長の怒鳴り合いは廊下まで響いていました。そして部長はBには課長を叱ったからもう大丈夫、書類上で事実確認までしたのにもう既に書類上通ってしまったから修正は出来ないからとそしてまた同じ事を課長がしたら相談する様に告げました。Bはやはり部長を信じた事を後悔しました。問題は解決する所が最悪の事態になりました。課長からは別の方法での嫌がらせが始まり、この会社の人間が信用出来なくなりましたがBにも事情があり直ぐに退職する事は出来ませんでした。
D係長はBが他の平社員の親身になり相談に乗ったりしていたのでBを共感力のある優しい人だと思っていました。そしてBの事を気にかけていました。仕事で資料が必要な時など一緒に探してくれた事もありました。そしてD係長は自分の部下が仕事をしやすくなる様に部長に意見をした為、部長の態度が一変し、働き辛さを感じており、体調を崩していました。たまたまD係長のプロジェクトにBも参加しておりBがD係長に仕事で分からない事を質問していた時に雑談となりました。その時にD係長から部長と課長が自分のイザコザにBを利用した事、F係長は実は部長のお気に入りである事(BはF係長が課長を嫌っている事、部長と課長が犬猿の仲なのも気付いていました。)を知りました。
そしてD係長も上司に嫌気がさし退職したいが家庭の事情で後1年はここで働かなければならない事、Bも同じ気持ちでしたが後1年この会社で経験を積む必要があり、後1年一緒に頑張ろと励ましていました。
結局、数ヶ月後、Bは退職に追い込まれました。部長は社長に課長のパワハラの件を伏せ、Bが問題社員だと報告をしていました。部長が課長の件を伏せていたのは自分の管理能力を問われるのを恐れたからです。ですのでこの全てのパワハラについて社長は事実を知りません。この間にも別の係長が自分のプロジェクト担当中に来なくなり、体調不良を理由に退職して行きました。そして数年前に課長のパワハラにより平社員が自殺しています。
引き続きご質問を頂き本当にありがとうございます。
実話だと思いますので、それぞれの人のプライバシーの関係上、この事例に対して僕の潜在意識から正確な情報が得られるとは限りません。
ですので、あくまでも捉え方の一例として考えて頂ければ幸いです。
このケースの場合ですと、社長(さらに上位の人物がいればその人物)にまず、ビジネスの拡張ばかりを望むばかりに外側に目を向け、内側に目を向けづらい欠点がある事が多いです。(広げたビジネスを維持するために気を取られている場合も同様)
その欠点克服を促すために、組織内部の問題が多く生じる流れが一つとしてあるかもしれません。
それで、部長と課長は特に精神的欠点が本質的に同一であり、主に、《保身をベースにした表面的な立ち振る舞いをしやすい》《自身に都合よく物事を捉えやすい》など、様々な面において似ていて、それゆえに出会い、問題を経験する中で進歩の道を行っているのだと思います。
部長は課長ほど明白なイジメはしていないようですが、自身はより戦略的な形でイジメをしているかもしれません。
Y係長に関しては、知能が高く「努力しない人はあまり価値が無い」と考えている能力主義な面があり、《能力で相手を見下すゆえに人に何かを教えるのが苦手》という精神的欠点があり、人の成長を見守ることが苦手な欠点を克服するため(同時に、関わる人達のカルマ解消に繋がるため)に係長になられていたのでしょう。
D係長とBさんは本質的欠点において《周囲の調和を重んじるゆえに人から指示をされるまでは動かない傾向》という点で似ているかもしれません。
この場合、その対極にあるのはY係長で、自身の考えで良いと思ったらすぐにそれをやるといった性質が強い事が多いです。
会社全体として、上層部にいる人達の保身を破るために、より下部において問題が勃発し問題に向き合うように促す流れがずっと渦巻いている形となっていると思います。結果的に、課長やY係長はその問題を起こすような役割となっているように思います。
会社としての根本的な問題は、社長が組織内の問題に目を向けなければ収まることは無いでしょうし、その社長もまた内側の問題に目を背ける性質があるため、中々、問題は解決しないのかもしれませんね。
たかひろさんお返事ありがとうございます。
始めの質問(ライトワーカー)の答が公開される事が分かったのでプライバシーもあり最初から全ての設定を変えた事例です。この変えた事例からも学べる事は多いです。
部長の方が実質最高権限を利用出来た為、タチは悪いですが確かに本質は部長=課長でした。
Bはこの会社で頑張る事は自死する事になると分かったから退職しました。
過去の自死の経緯を聞き、Bは自分と同じ状況下で自死された事を知ったからです。(初めの設定程度のパワハラでは自死はしません、もっと深刻で人の将来、その家族の将来を変え、物的損害をも出す事柄<時間とお金の損失>でした。)
カルマの解消と本質的欠点に気付き、その欠点を克服して解消されるのであれば
この様な場合、BやD係長は自己の本質的欠点に気付かず、精神的苦痛やそれによる体調不良や病気となり退職した場合はカルマの解消とはならず、また同じ学びをする為に似た様な環境に置かれるのでしょうか?
それとも在職中に自己の本質的欠点に気付き、克服出来ていたらパワハラを受けなくなっていったと言う別の未来があったのでしょうか?
F係長はこの中で1番世渡り上手です。在職中自分と同じ係長クラスの人が沢山辞めて行くのを見ていた事、過去に課長が平社員にしていた事も見ていたからBにあの様なアドバイスをした訳です。初めは課長から目を付けられていましたが課長と共に過ごす時間の流れから課長のターゲットになりやすい人の傾向が分かり(どういうタイプを嫌うのか知っていた)、他の係長が一斉に離職した事によりまた自分がターゲットに戻る事も分かっていた事でしょう。F係長は部長サイドの人間でしたからこの機を狙い、問題を大きくし、上層部が出来たら課長を追い出すか、課長の降格人事を目論んでいた節があります。自分に火の粉が降りかかりそうな時は平気で嘘を付ける人間でした。1番の馬鹿はBです。Fの本質を見抜けず、自分の上司だからと信用してしまった。そして事態が最悪な状況になってFの無責任さを知ったのです。BとF係長とのカルマは何だったのでしょうか?
D係長は心優しい人でしたので自分の立場もありましたがこの状況で心を痛めていました。部長、課長の性格も良く知っていたし、自分の力で状況を変える事は出来ず、D係長の立場では仕事上でのBが分からないから事を手助けしたり、Bを見守る事しか出来なかったと思います。
もしこの様な状況下でD係長の立場なら他にBに何をして上げられたと思いますか?
トラブル=その人その人のカルマの解消の為に起きていると考えて放置するのがベストだと思いますか?(様は本人の問題だと捉え、助けを求められてもその人を助けるなと言う考え方)
優しい人は往々にしてD係長の立場になる事が多いと思いますのでどの様な振る舞いが良いのかアドバイスを頂けたら幸いです。
引き続きご質問を頂きありがとうございます。
カルマの法則の詳細に踏み込む、素晴らしいご質問が多いです。
感謝いたします。
>>「カルマの解消と本質的欠点に気付き、その欠点を克服して解消されるのであれば、この様な場合、BやD係長は自己の本質的欠点に気付かず、精神的苦痛やそれによる体調不良や病気となり退職した場合はカルマの解消とはならず、また同じ学びをする為に似た様な環境に置かれるのでしょうか?」
精神的苦痛による体調不良や病気などで退職した場合は、相応にカルマの解消がされていると思います。
というのも環境により半強制的に困難を経験する場合、カルマ解消は「葛藤を経験するプロセス」にあるためです。
体調不良や病気になるほどに葛藤を経験されているのであれば、確実に、環境により削られる分のカルマは解消されているでしょう。
ただ、自発的に気付き成長する過程で解消される自我・カルマの分は残っていると思います。
上記のような事が考慮された結果、後の出来事が決まってくるのではないかと思います。
>>「それとも在職中に自己の本質的欠点に気付き、克服出来ていたらパワハラを受けなくなっていったと言う別の未来があったのでしょうか?」
10年以上といった比較的長い期間を務めていた場合、4年目など途中からパワハラを受けていたのであれば、その前の4年の期間で欠点を克服することでパワハラには出会わなかった可能性は高いと思います。(さらに、仕事外での誰かのために身を尽くすような奉仕が伴っていれば、おそらく、1年未満でもその職場でのパワハラに出会わない未来を選択できる可能性は高いでしょう)
>>「BとF係長とのカルマは何だったのでしょうか?」
様々あると思うのですが、代表的なものを一つ挙げると、Bさんの「自身の洞察力と人間関係的な思考力の欠如」を痛みを知る形で、F係長のような「洞察力と人間関係的な思考力を悪用する人」により思い知らされる形だと思います。
これは、優しいけども現実面での強さが足りない人、が多く経験する事例の一つだと思います。
>>「もしこの様な状況下でD係長の立場なら他にBに何をして上げられたと思いますか?」
D係長の精神の進歩度合を考慮しないのであれば、社長に直談判し、組織の内情を知ってもらい対策を練ってもらうよう働きかけることだと思います。
これは物的に観れば、自身の立場を揺るがす危険性のある行為ですので、保身の気持ちがある内は難しい行為です。
ただ、カルマの法則上、大きく報われ、実質、D係長の人生にとっては安定的な選択です。
実際に状況が動くかは別にして、このトラブルに関連する全ての人の進歩に良い影響をもたらすと思います。
(しかし、D係長が上記の事が平気で出来るようなほどに精神の進歩が進んでいた場合、そもそもその会社に勤める事は無かったのも事実だと思います)
D係長の精神の進歩を考慮するのであれば、自身の身を守れる範囲でBさんにフォローを入れ、日々、Bさんの幸福を願い・より良くなるようイメージするなどが良いと思います。実際に立場上、行動できずとも、想いは実際に出来事に関与しているためです。
自身の身を守れる範囲でBさんに極力フォローをしていたのであれば、D係長の立場としては良い行動だったのではないかと思います。
>>「トラブル=その人その人のカルマの解消の為に起きていると考えて放置するのがベストだと思いますか?」
放置(何もしないこと)の全てが悪いとは思いませんが、明らかに助けられる何かがあった場合、それが出来なかった分に関しては未熟な自我形成(悪いカルマを負う事)になると思います。
というのも、そもそも他者のトラブルは自身の欠点克服とも関連しているため、それを放置するということは、自身の欠点克服から目を背けているとカルマの法則により判定されると僕は考えているからです。
(ただ、真剣に考えてみたけども助ける手段が思いつかなかった、などの事は負のカルマにはならないでしょう。
カルマの法則上、実行不可能なことに責任を問われることは無いと思います)