一般的に観れば、カルマの法則による作用はとても分かりづらいと思います。
そのため、カルマの法則は嘘・無いと考える人も多いでしょう。

「良いことをすればするほど明らかな良いことに恵まれる」という事であれば、誰でもカルマの法則を認知し、他者のための善行ができるだろうに…と感じる人は多いです。

ただ、そもそも、カルマの法則には、多くの人が認知しづらいよう動く作用があり、また、その作用がとても大切です。

今回の記事では、なぜ、カルマの法則は分かりにくい方が良いのか?についてお伝えいたします。

カルマの法則が分かりやすい世界

良いことをすればするほど収入が上がり続け、欲しい物が手に入り、何でも言うことを聴いてくれる恋人ができ、子供が自身の望んだとおりに育ってくれる…

仮に、この世がそのような世界であった場合、人間の利己性は歯止めを利かずに高まり続け、成長の仕組みは成り立たないでしょう。

「自身の善行に対し明らかな良いことが返ってくるのが確定している」という状態は、単に、我先にとお金を拾うような感覚で善行をしているのと同様であり、これでは人類は守銭奴と同じような水準での意識のまま停滞することが明白です。

そのため、カルマの法則は常に人々の認識の外側で働くようになっています。

その結果、このサイトでもお伝えしているような、自身では把握しづらいような絶対的価値の高いものが与えられています。(絶対的価値の高いものに関してはこちらの記事でもお伝えしております)

次に、カルマの法則が常に人々の認識の外側で働いているとはどういうことか?についてお伝えいたします。

人間の期待を外しつつ、未来のために必要なものを与えてくれている

「何かを期待している場合に限って、その期待しているものが得られなかった」

そんな体験をした方はとても多いのではないでしょうか。

これは、そもそもカルマの法則には人間の期待を外すように動く作用があり、その作用によって人間の欠点克服へと導いているために多くなる現象です。

例えば、偶然の利益を期待する傾向のある人が、実際に偶然の利益を得られてしまうと、より一層、偶然の利益に頼るような思考に陥ってしまいます。
そうなると、出来事周りの因果関係をしっかり理解できず、学びにおいて停滞する結果になるでしょう。
(例 宝くじ当選を期待する人が実際にそれが得られてしまうと、偶然によって利益を得たので、他の100個ある偶然性の高い詐欺話の全てが利益に繋がるように思えてしまい、しっかりとした事実関係の分析ができなくなる)

このように、期待しているものが期待通りに得られることがずっと続けば、人間の学びはめちゃくちゃになってしまうでしょう。

そのため、カルマの法則は偶然の利益を期待している人に対して、その期待を外すような出来事を起こしていきます。

宝くじの場合を例に用いると、宝くじを買っても当選せず、しかも宝くじを買った事によって当選を期待している最中、日頃の仕事が逆に億劫になってしまうなどの状態を経験します。
そして、宝くじが当選していない事が分かった後に、「やっぱり地道に働くことが大切だ」という思いが湧きあがったりするなど、こうした一連の流れを経験させる中で、カルマの法則はその人に対して道理を学ばせています。

人間は万事、このように様々な期待(盲信)を外される中で、道理を学んでおり、これらはカルマの法則が分かりにくい事による恩恵でもあります。

また、これらのプロセスで得るものは必ず未来に役立つ絶対的価値の高いものでもあります。

その時は理解できないが、未来に役立つものが得られる

宝くじを例に用いると、多額の当選金には素晴らしい価値があるとその時点では思っているので、「地道に働くことを厭わない性質」の価値は分かりません。
そのため、宝くじを外される体験の中で、この地道に働くことを厭わない性質が少し得られても、そこに価値を観ることはできないでしょう。
しかし、この人の未来においては必ず、地道に働く中で、自身にとってやりがいがあって、かつ、多くの人の役に立てることが見つかることになります。
カルマの法則は、その人の長期的未来にとって役立つものを与えていくからです。

宝くじを外されるだけではまだそこには中々到達しませんが、例えば、宝くじを買うお金を寄付にあてて誰かの役に立てていった場合、働くことを厭わない性質どころか、いつしか、働くことを最高の楽しみにできる性質までも得られるでしょう。
こうなると、知性・能力向上は留まる所を知らず、偶然の利益に頼ることなく、あらゆる事において確かな選択ができるようになっていきます。

絶対的価値の高いものは長期になるほど価値を放つ

人間はこの世の80年ほどの生だけではなく、何万年以上も生き続ける存在ゆえに、より一層、「地道に働くことを最高の楽しみにできる性質」の価値が高いのです。

80年スパンで人生を眺めるのと、1万年スパンで眺めるのとでは、価値基準は大いに変わってきます。
長期的スパンで観たら、幼少期に汚いものを口に入れて病気になり、免疫が高まったことにより、大人になった時に強い身体が得られたので、結果として良かった、などの事があります。
これと同様に、この世においては魅力を感じないものであっても、長期的であるほどに価値を発揮することがあります。
それが、このサイトでお伝えしている「絶対的価値の高いもの」という概念です。

僕達、人間には想像しがたい事なのですが、こうした「期待を外す中で、その実、絶対的価値を与えてくれる」といった事はどこまでも続き、無限の知性の探究ができるようになっていると思います。

なお、このテーマに関連して以下の記事では「被害を受けた際のカルマの法則による埋め合わせ」について書いております。