目標に向かって行動したり、何かやろうとした際、邪魔が入ることってあります。
多くの場合、これをとても煩わしく思うものなのですが、この邪魔にこそ素晴らしい価値があったりします。
今回の記事では、カルマの法則における「何かやろうとしたときに邪魔が入る現象」についてお伝えさせて頂きます。
なぜ、何かやろうとすると邪魔が入るのか?
結論からお伝えすると、そのままやりたい事をやってしまっては精神成長(カルマ解消)が行えないゆえに、他の大切なことに目を向けるような出来事が起こっています。
やりたい事をやってしまっては精神成長ができない場合は、下記のようなパターンが多いです。
- やりたい事をやっては、自身の解消すべき自我(価値観)が助長される結果になる
(例 知識を鼻にかけるタイプの人が、より知識を得てしまうとさらにそれで傲慢になってしまう、など) - 目標を持つと視野が過剰に狭まりやすい性質があることから、身近なことを丁寧にこなすのが重要な課題点である
- 落ち着きの無さが欠点であり、自身の行動を抑制することで、その精神的欠点が克服される
- 邪魔な用事(身近な事)を先にやった方が、そのやりたい事によって成果が出やすくなる
など、様々あります。
それで、上記の全てのパターンで共通するのは、やりたい事をやるよりも、邪魔してくる対象を真剣に取り組む方が、長期的に、必ず良い結果になるということです。
この「自身のやりたいことを邪魔する存在に対して、真剣に取り組む」というのは難しいことですが、これができれば人生上で真に困ることは無くなるというほどに価値があります。
なぜ、自身のやりたいことを邪魔する存在に対して真剣に取り組んだ方が良いのでしょう。
邪魔してくる存在に真剣に取り組むメリットの具体例
やりたい事が邪魔されるパターンは無数にありますので、全ての例を示すことはできません。
それゆえ、そのメリットが分かりやすい例を一つ挙げます。
(これから用いる例は、全てに共通する部分が多いです)
育児をしていて、家事が忙しかったとします。
このお母さんは非常に几帳面な性質が強く、それがゆえに、家事を過剰に多くこなしていたのです。
それで、子供が「一緒に遊ぼう」といって手を掴みました。
そのお母さんは通常なら、今、忙しいから一人で遊んでて!と強めに言う所でしたが、「邪魔してくる存在こそ、ありがたい」と思って、家事を放り、子供との遊びに集中してみました。
それらの日々を過ごした結果、自身の家事は過剰であり、その家事こそが自身の几帳面な性質を助長し、自身を追いつめていたことが分かりました。
また、自身が関わったことで子供に与えた影響は、家事を少なくすることによるデメリットなどとは比較にならないほど、良いものであることも分かりました。
このような形で、やりたい事を邪魔してくる存在に対して真剣に取り組んだ結果、自身の過剰だったもの(執着対象)をより知ることが出来るのです。
これは精神成長(カルマ解消)がうまく行われ、より知性が向上したことを意味します。
このように、「やりたい事を邪魔してくる存在に真剣に取り組む」というのは、いかなる事例においても、本質的な意味で良い結果になります。
それで最後に、なぜ、邪魔してくる存在に真剣に取り組むことで人生上で真に困ることが無くなると言えるのか?についてお伝えいたします。
人間を導く存在は出来事を通じ、常に答えを与えてくれている
人間には自由意志がありますので、人間を導く存在(守護霊など)は意志の全てに介入することはできませんし、しません。
それゆえに、出来事を通じて人間に何らかの答えを与えるようにしています。
そのため、「起こった出来事に対して素直に対応する」(自身の思いに固執しない)という事ができれば、人間を導く存在による知恵をフルに活かした状態で人生を送ることができるのです。
例えば、やりたい事をやり続けると危険な状態に陥る未来がある場合、自身には分かりません。しかし、その手前で、やりたい事を邪魔する存在があらわれ、そちらを真剣に取り組んでいた場合、その未来を無自覚に避けることができるのです。
分かりやすい例に、事故に遭った飛行機に乗る予定だった人が、その手前で、家族から急に「大切な用事だから、こちらに来てくれ」と言われて、そちらに行ったことで難を逃れたなどの話はよくあると思います。
(ただ、事故に遭うことそのものを否定するわけではありません。本来、人間にとってあの世はメインの世界でもありますので、寿命を全うして命を落とすことに善悪は無いでしょう。したがって、負のカルマが多いから事故に遭うというわけではありません)
これらが、やりたい事を邪魔してくる存在ほど、人間にとってありがたい存在は無いと言える理由です。
以下の記事では、今回の記事に関連して「執着を断つ方法とその効果」についてお伝えしています。