膿みだし現象・浄化は、なぜ、起こるのか?についてお伝えしていきます。
(スピリチュアルにおいて、膿だし現象は浄化とも表現されることがあります)

人生の中で「なぜ、こんなに優しい人が報われないのだろう」「良いことをしているはずなのに何でこんな苦労がやってくるんだろう」と感じられる事は多いと思います。

これは膿だし現象が絡んでいるためです。

今回の記事では、良いことをするほどに膿みだし現象が起こる理由についてお伝えしていきます。

膿みだし(浄化)は自身の間違った考え方を改善するために起こされる

世界のために良いことをして生じたエネルギー(徳・カルマ)は自身の間違った考え方や価値観を直すための出来事が引き起こされるために使われます。

そのため、自身に間違った考え方(偏見)があるほどに、良いことをするほど困難がふりかかる事もあるでしょう。

具体例を挙げると、
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自身の能力に自信のあるAさんがいたとします。
Aさんは自身の適正に合った仕事場に恵まれています。

ただ、Aさんはその職場にいる、仕事が遅く、ミスの多いBさんを毛嫌いしていました。
Aさんには「能力の無い人は努力の足りない怠け者だ」という偏見があったのです。
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と、この場合、Aさんは良いことをするほどに、自身の能力が発揮されづらい環境に置かれるでしょう。
苦手な仕事を任されたり、違う苦手な部署に行くことになったりなど。
というのも、Aさんが持つ偏見は真実から遠く、誤っている部分が多いため、Aさんが真実へと近づくために「能力を発揮できない立場」を経験する必要があるからです。

このように、自身の誤っている考え方を直すために引き起こされる困難が、膿だし現象の本質的な意味です。

ちなみに、膿だし現象のことを知ると、良いことをしているのに不公平じゃないか?という思いが湧くかもしれません。
これが人情だと思うのですが、実際は、偏見は早く解消される方がその人のためになっています。

なぜ、膿だし現象(浄化)が起こった方が良いのか?

偏見を持ったままだと、人は、誰かを傷つけてしまうからです。
また、傷つけた分、自身も相応に誰かに傷つけられる未来が生じてしまうからです。

そのため、困難があったとしても、偏見は早めに解消された方がその人のためになっています。

例えるなら、バケツに穴が空いているなら、水を入れるよりも穴を塞ぐことに集中した方が良いのと同じでしょう。
穴の空いたバケツに水を入れると漏れてしまうように、偏見のある自分に対して大きな貢献機会(高い能力・権力)などが与えられると、結果的にはその貢献機会は活かされないどころか、能力を鼻にかけて人を傷つけてしまうことがあります。

また、

偏見が解消される=世界に対してより大きな貢献ができる

という事も言えます。

カルマの法則は良く出来ているもので、自身の偏見が解消されるほどに世界には調和(人類全体の利益の増加)がもたらされるようになっています。

ちなみに、膿だし現象は心優しく「反省のしやすい人」にも頻繁に起こるものでして、この場合、なぜ反省しているのに困難が起こるのか?という疑問が生じやすいと思います。

例えば、常に、人を見下さないように気を付けている人間に対して、能力が発揮しづらい立場が与えられるなどのことです。

これは、膿だし現象はその人の普段の思考に対して起こるのではなく、精神構造に対して起こるからだと思います。

膿みだし現象(浄化)は精神構造そのものを変えるために起こる

分かっているけど止められない、というのは考え自体は変わりやすくても、精神構造が変わりにくいことを表す良い言葉だと思います。

能力で人を見下してはいけないと分かっている人の場合だと、能力が低い人を観た際に、イラっとする気持ちが湧くとします。そこで、「能力で人を差別してはいけない」と自制するのは素晴らしいことなのですが、何の困難も無しではイラっとする気持ちを生じさせる精神構造までは変わらないことが多いです。

精神構造そのものを変えられる体験には強い感情がつきものです。
それがゆえに、能力をあまり発揮できない立場において「なんでこんなに自分は無力なんだ!」という苦悩を経験した後には、精神構造が変わり、能力が低い人を観た際にそもそもイラっとせず、逆に、強い愛情が湧くようになったりします。

僕達、人間は表面的な変化のみで物事を判断しがちなのですが、精神構造の変化のほうが大切です。

そして、精神構造の変化を起こすためには強い衝撃が必要なのです。
人生はこの精神構造がより良く変わるような強い衝撃が与えられる場といっても過言ではないでしょう。

なぜ、人は精神構造まで変わった方が良いのか?という疑問に対しては、この世が創造される仕組みと死後の世界まで考慮に入れると分かりやすいかもしれません。

この世(世界)が創造される仕組み

人間は世界そのものといっても良い存在です。
そして、人間が持つ精神構造はそのまま世界として現れていきます。

例えば、能力の低い人に苛立つような能力主義の性質をもつ自我は、実際に、能力で人を差別するような社会の仕組みを創造していきます。

その一方、能力の低い人に対して、「仕事面での能力だけが人間の価値ではない。また、能力を発揮できる分野も人それぞれ、能力を発揮できる立場にいる人が、能力を発揮できない立場にいる人を助けるのは当然のことだ」、と調和の性質をもつ自我は、実際に、お互いの個性を活かしあう調和する世界の仕組みを創造していきます。

このように、人間の精神構造はそのまま世界として創造されていきます。

ですので、人間が本質的に変わる意味でも、世界を変える意味でも、表面の考えだけではなく、精神構造まで変わる必要があるのです。

次に、死後の世界についてです。
(信じるかどうかは人次第だと思いますが)

死後の世界が創造される仕組み

死後の世界はその人の精神構造がこの世以上に反映される世界です。
また、同様の精神構造を持つ人で集まって世界がつくられていきます。

そのため、例えば、能力で人を差別する偏見をもったままですと、死後の世界においては、能力における差別がまだ残っている世界に行きつくことになりがちです。

本来、人は、死後の世界ではより多くの楽しみと自由が約束されているのですが、能力主義な部分が残っていると、自身の能力に囚われた不自由な世界で過ごすことになってしまいます。

偏見さえ無くなれば、その精神構造に相応した魔法のような美しさと不思議で溢れた世界に行きつく事もできるのですが、自身の能力に囚われた、この世と変わらない、いまだ個人の能力の範囲内で形成される制限された世界に行きつく事になってしまいがちです。

それがゆえに、能力主義による偏見を例に出すなら、この世においては、個人としての能力が発揮される以上に、能力に対する偏見が解消されるほうが、その人にとって恩恵と言えるでしょう。

ただ、このような死後の世界・霊界・あの世と言われるような世界に関しては、論証できないようになっている部分も多いため、基本的には、「なぜ、偏見は解消された方が良いのか?」について、この世における原理を一つ一つ探っていくことが大切だと思います。