僕のカルマの法則の説を聴くと「自身の善き行為は人格に蓄積され、人格相応の死後の世界にて報われる。この世では報われない」という捉え方をされる方が多いのですが、実際はそうではありません。

この世における物的な恵みまでも保証されています。
(上記の動画ではそれを解説させて頂いております)

すなわち、善行をなす人ほど、この世においても経済的安定を得ることになるでしょう。
※ただ、その善行が真に世界のためになっているかどうかについては常に考察の余地がありますが

今回の記事では、カルマの法則が物的な恵みをもたらす際の原理についてお伝えいたします。

絶対的価値が長期的な物的安定をもたらす

絶対的価値については「カルマの法則(因果の法則)とは」でも簡潔にお伝えさせて頂きました。

こちらの記事では、さらに掘り下げてお伝えしていこうと思います。

絶対的価値とは特定の条件のみに価値を発揮するものではなく、あらゆる状況にて価値を発揮することを指します。
そのため、絶対的価値が高いものであるほどに対応できる状況はより多くなります。

その一方、お金は資本主義に対する相対的価値であり、《お金に価値があると認知している人間同士の環境》でのみ価値を発揮するものですので、絶対的価値はあまり高くはありません。

また、お金を稼ぐ場合では、特定の知識やスキル・思考力、さらにはコミュニケーション力・働くことをいとわない心などが価値を発揮しておりまして、お金以上に、これらのもの(概念)の方が絶対的価値は高くなるでしょう。

そのため、善行をなす人々にはカルマの法則により、上記のような絶対的価値の高いものが与えられます。

それゆえに、お金が必要になれば必要に応じて稼ぐだけの力は「お金があまり無い状況(必要分しか無い状況)」であっても、すでに絶対的価値として自身に蓄えられている状態です。

これは銀行口座に貯金が豊富にある状態と似ていて、必要に応じて、貯金を引き出して買い物を行うのと同様に、自身に蓄えられた絶対的価値が自身の必要を満たしてくれます。

また、カルマの法則が与えてくれる絶対的価値は自身の能力や人格を超えたところにもあります。

個人を超えた絶対的価値の高いもの

お金は絶対的価値が低いので、人間関係・健康状態などを根本的に保証してくれるものではありません。
それらは、お金よりも絶対的価値の高い「思考力」であっても同じ事であり、個人としての思考力ではカバーしきれないものです。

そこは「個人を超えた絶対的価値の高き存在」がカバーする部分なのですが、これは、人間の知能では把握しきれず感知できない性質のものです。

人間はしばしばそれを「運」「心の声」「神(潜在意識)からの知恵」と表現するのですが、それらがカバーしてくれます。
善行をなす人であるほどに必要に応じて、上記のような個人を超えた絶対的価値の高いものが働くでしょう。

また、自身の思考力や自身の人格などもそれらを受け取る器として相応しいものになっていきます。

価値の高い物ほど多くを不要にしていく

ただ、「カルマの法則(因果の法則)とは」にて、

自転車を例にすると、チェーンに毎日油をささなければいけない自転車と、1年に1回油をさせば良い自転車を比較したら、大部分の人は、1年に1回だけ油をさせばよい自転車を選ぶと思います。
それはメンテナンス性において明らかに後者の方が絶対的価値が高いからです。

お金に関しても同様に、幸せになるにあたって多くが必要な人よりも、少なくても良いと思える人の方が、実質、より多くのものを得ている状態と言えるでしょう。

と述べたように、そもそも、必要以上のお金を得ようと思う心そのものよりも、『お金の有無そのものが影響しない心』の方が絶対的価値が高く、善行をなす人であるほど、その心が得られる方へと導かれることが多いです。

今の人間の世では絶対的価値の高いものの方が見えづらいため「多くの物を持たない人は豊かではない」と思われがちなのですが、真実を観れば、絶対的価値の高いものを多く得ている人の方が豊かでしょう。
また、人間関係・健康・経済などにおける実質的な安定度においても上回ります。

※ただ、善行をなすほどに、前世により生じた自我(潜在的自我)を解消する速度も上がるため、困難なども多く生じてくるのですが、それらを踏まえても実質的な安定度は上回るでしょう。