目標が見つからない時ほど人間は精神成長(カルマ解消)が出来ています。
一般的に、目標に向けて行動している人はすごいと見られる傾向がありますが、実際の所、本当の意味で過酷なのは目標が見つからない時です。
今回の記事では、なぜ、目標が見つからない時の方が精神成長をしやすいのか?という事についてお伝えいたします。
目標が見つからない方が良い理由
目標に向けて一直線に行動していくと、人は、視野が狭まる傾向があります。
また、他の価値観を持つ人達の気持ちが分からなくなったりしやすいのです。
その一方、目標が見つからない期間が長いほうが、視野が広がる傾向があります。
目標に向けての行動は一直線に対し、目標が見つからない時の行動は紆余曲折しながら、その実、より広い世界・より様々な人の価値観を理解することに繋がっています。
そのため、人間の進歩を促すカルマの法則は、目標が見つからない期間をほとんど全ての人に与えていると思います。
では、目標が見つからない期間は何をして過ごすのが良いのでしょう?
身の回りのことに真剣に取り組む
目標が見つからない時でも、人は何かをやれる状況にあります。
部屋の片づけであったり、家族のために何かをすることであったり、様々あるでしょう。
それらに対して真剣に取り組むことは良いと思います。
というのも、人間が目標が見つからないように導かれる場合、自然と、真にやるべきことである身の回りの事に集中できる状況が与えられる傾向があるからです。
そのため、目標が見つからない時は、身の回りのことや、周囲の人から自身に求められている事をやるのが良いでしょう。
ちなみに、目標が見つからない時、あらゆる人に共通する有効な方法があるので、これについてもお伝えいたします。
ただ座って何もしない時間を取る(真の意味での瞑想)
この場合、出来るだけ多くの時間をただ座って、目を瞑り、何もせずに過ごすようにします。
すると、真に大切な行動をしやすくなるでしょう。
また、何もしないでいられる力(自我を抑える力)が増し、今後、人生全体において様々な事がスムーズに上手くいきやすくなるでしょう。
というのも、誰しも、この何もしないでいられる力(自我を抑える力)を向上させる必要があり、それゆえに目標が見つからない期間や、様々な形で、何かを待つ機会などが与えられています。
ですので、この「ただ座って何もしない時間を取る」といった事は、基本的には誰であっても有効です。
なお、これを真の意味での瞑想としているのは、瞑想的境地にいたりやすいからです。
例えば、瞑想行をする場合、「悟りを開きたい」「心身を鍛えたい」といった雑念が根底にあり、それゆえに瞑想をしていても瞑想的境地とは言えない形です。
しかし、生活の合間に、ただ座って何もしない時間を取るようにしていくと、真の意味での瞑想的境地にいたりやすく、自我を抑える力が向上しやすいです。
ただ、瞑想的境地といっても、座っている時間に何かを考えてはいけない、ということではありません。
比較的、考えないようにするほうが良いと思いますが、それは必須と言うわけではないでしょう。
基本的には、ただ座って目を瞑るだけの時間を取るだけで大丈夫です。
とはいえ、実は、これは中々ハードルの高い方法だと思います。
日々チャレンジするのが良いと思いますが、それでも出来ないという方におススメの方法もお伝えいたします。
普段から自身の心に、より良い問いをする
「私がもっと実りある生き方をするために、何をするのが良いだろう?」
など、より価値のある事をやりたい、という思いを言葉にしたような問いを、心に投げかけるようにします。
些細な行動のように思えますが、『自身の心に何を問いかけるか?』というのは人生全体に大きな変化を生むでしょう。
というのも、自身の問いに対して人生は何らかの答えを返してくれるものだからです。
人生の出来事を生じさせる因果関係の中でも、自身の心への問いかけというのは上位にあるものでしょう。
ですので、この心への問いかけの習慣をおさえておくだけでも、基本的には、実りある人生を得ることができるでしょう。
以下の記事では、今回の記事に関連して「何もしないことの大切さ」についてお伝えしています。