カルマの法則を知ると「良いことをしなければ死後の世界で不幸になる」という不安に駆られるので良くない、と考える人もいるかもしれません。
こういったカルマへの恐れは人間にとってどのように作用するのでしょうか。
今回の記事では、カルマに対する恐れというテーマで詳細にお伝えしていきます。
恐れが真実に根差したものであれば、人間は真実に向かう
結論から言うと、恐れること自体はそれほど良いことではありません。
とはいえ、地球人的自我(前世・過去の保身行為により出来た自我)を破らない限り、人間は恐れから解脱できないのも事実です。
そのため、現状、人間は恐れから逃れること自体はできないという前提で考えることが大切でしょう。
ならば、考えるべきは、いずれにせよ恐れを払拭できないのであれば、恐れる対象は何が良いか?ということです。
基本、恐れという感情は「良い行動を取るため」に引き起こされるものです。
そのように考えていくと、恐れの対象が真実であれば、人間は真実に沿った行動を起こすことになる、ということでもあります。
しかし、恐れの対象が幻であれば、幻に惑わされたような行動を取ることになるでしょう。
そのため、カルマの法則による知識が真実なのであれば、その恐れは、人間にとって何らかの良い行動を生むということになります。
多くの場合、人間の恐れの対象は「お金が無くなること」「病気になること」「大切な人と会えなくなること」などだと思います。
これらは真実に根差した恐れなのでしょうか。
人間の抱える恐れの対象の多くが理に適わない
お金が無くなることを恐れる場合ですと、その恐れを元に、「ひたすら働く」「貯金をする」などの行動を生みます。
場合によっては、人からお金を盗むなどの行動に出る場合もあるでしょう。
それで、この恐れが真実に根差しているかどうかは、その行為による結果を分析すると分かると思います。
ひたすら働く、貯金をする、などは、人間が直面するあらゆる出来事において良い結果をもたらすのでしょうか?
これに関しては、明らかにそうではないと言えるでしょう。
お金というのは健康・人間関係(夫婦関係・友人関係・子供との関係)・自身の能力の向上などとは直接的な関係がありませんので、お金への恐れを元に行動をしても、それらは上手くいきません。
そもそも、お金を稼ぐにあたって何らかの能力を要することから、そもそも、お金への恐れを元に行動をしてもその能力を身に着ける方向へと行かず、ただただ空回りになるケースも多くなるでしょう。
そのため、「お金が無くなること」に対する恐れは理に適わない部分が多いのです。
それであれば、お金が無くなることへの恐れよりも、「自身の思考力が不足することへの恐れ」などの方が理に適う部分があります。
これであれば、思考力を増すために様々な事を良く考えるようになりますので、お金を稼ぐ事はおろか、人間関係においても良い選択をする事に繋がるでしょう。
しかし、残念ながら、思考力だけでも現実に対応していくことはできません。
自身に得られる情報にも限りがありますので、思考力では、自身の認識外の出来事まではカバーできないのです。
では、カルマへの恐れであればどうでしょう。
カルマに対する恐れは現実に対応しやすい
僕のカルマの法則の知識を例に取るなら、「精神成長をしなければ….」といった恐れを元に精神的欠点の克服や他者への善行をするということになります。
この場合ですと、目の前の出来事に対して、自身の心理的抵抗を超える行動をする(過去の自分が取らないような行動をする)・感情のコントロールにより事実関係に沿った行動をする、ということであったり、自身に良い自我(良いカルマ)を生むために、他者に対する何らかの善行をするということになります。
この場合、カルマの法則の知識が真実で、
- 精神的欠点の克服をすることにより、長期的に良い結果になるように人生展開が組まれている
- 感情のコントロールにより事実関係に沿った判断をする
- 他者への善行により自身に良い自我が生まれ、それが真実に基づいた良い判断を生む
ということであれば、その恐れは真実に基づいた行動を生んだということになります。
このあたり、僕自身は真実だと考えておりますが、僕の考えはこのサイトの読者様とは無関係でもあります。
それゆえ、自由に判断して頂くのが良いと考えています。