人から何か被害を受けた場合、相応の埋め合わせが常にあるのがカルマの法則です。
(実際は、加害者・被害者とのカルマの一致により出来事は起こるので、片方が一方的に相手に被害を与えていることは無いと思うのですが)
今回の記事では、被害を受けた際にどのように埋め合わせがされていくかについてお伝えいたします。
裏切られた損失の分、絶対的価値の高いもので補われる
人からお金を騙し取られた例でお伝えいたします。
投資などで「ほぼ必ず儲かる」と言われて損をした場合では、その後「地道に働くことが大切だな…..」という心境にいたる事が多いと思います。
この世的な尺度では分かりづらいのですが、投資で利益を得ること以上に、『地道に働くことを厭わない心』の方が絶対的価値があり、騙された事でそれを得るためのきっかけが得られています。
ただ、この場合ですと、投資などにお金を使うよりも、困窮している人達のために寄付をするなどをしていた方が、より大きく『地道に働くことを厭わない心』が得られ、騙されることも無かったと思うのですが、騙し取られた場合でも少し得られる形となっています。
上記のものは一例で、他には、「詳細な因果関係を理解しないまま物事を進めようとする性質」「人の意見をしっかり考察しないで真に受けてしまう性質」などが、お金を騙し取られたことで改善され、実は、それらは得たはずのお金よりも大きな価値のあるものとなっています。
このように、人から被害を受けた場合では、ほぼ必ず被害以上に【絶対的価値の高いもの】により埋め合わせが行われます。(絶対的価値の高いものについては以前にこちらの記事でもお伝えしています)
ちなみに、上記の場合ですと、お金を騙し取られなかった場合の方が大きな損を被っていた可能性も高いでしょう。
絶対的価値の高いものが、偶然の利益により損なわないよう保護される
逆に、仮に投資などで偶然に利益を得てしまった場合、「偶然の利益に頼ってしまう弱さ」などが染みつく結果となります。すると、他の投資で大きく損をする事に繋がり、その時には地道に働くことを厭わない心などを身に着けづらくなってしまうことが非常に多いです。
詐欺話が100個ある内のたった1つの利益の出る投資話で利益を得てしまうと、偶然の利益に頼ってしまう弱さが一層染みついた際には、非常に高い確率で、後の投資話で大きく損をすることになってしまいます。
ですので、早い段階で投資で損をしていた方が、絶対的価値という基準で観た際に人生は上手くいっていたと言えるでしょう。
さらには、死後の世界という部分まで見据えた長いスパンであるほどにそうだと思います。
こうした出来事に見舞われた際、「被害を受けた」と思いたくなるのは山々だと思うのですが、場合によっては、それは未来にとって最善な導きのために引き起こされた恩恵であるという視点は大切であると言えます。
ただ、今回は投資話を例に出しましたが、投資にも世界のためになるような因果関係に則ったやり方もあると思いますので、投資の全てを悪行と思わないようにされた方が良いと思います。
人間は、物質的な損により本質的に損をすることは無い
カルマの法則は、人間が見舞われる、物質面での損に対して、あらゆる形で埋め合わせを行っています。
記事でも挙げたように、多くは人格面での絶対的価値のあるものによって行われています。
そのため、物質的な面での損を恐れる必要は本当は無いと思います。
ただ、それは物質的な面をおろそかにして良いということでは無いと思います。
浪費しがちな人であれば、物質であるお金を通して、倹約を学ぶなどの事は大切でしょう。
子供のおままごとを例にすると、友達のおもちゃを取ることは、例え、それがおままごとであっても良くないことです。
なぜかというと、おままごとの上での行為(物質面)が自身や相手の精神に実際に作用するからです。
同様に、物質的な面での損が相手に本質的に被害をもたらさないと思って、借金を返さなかったり、人を利用してしまったりすれば自身や相手の精神を傷つけることになってしまいます。
そのため、この世の物質的ルールは子供のおままごとのように、実際は真相では無いことを把握しつつも、物質的ルールを通じて自身や周囲の人にとって良い立ち振る舞いをしていき、その中で道理を学ぶことが大切なのだと思います。
なお、「人からの被害に対する埋め合わせがあると聴いても、自身が悪を叩かなければ、根本的に悪は消えてなくならないのでは?」と思う方も多いと思います。
この世から悪が消える原理については下記の記事にてお伝えしております。