自然体や直感はスピリチュアル分野において重要視されやすいものです。

直感とは素晴らしいものであり、自分を超えた知恵の発揮につながったりします。

ただ、残念ながら、自然体や直感に拘ることで、かえって不自由な生き方をしてしまうケースも多いです。

今回の記事では、「なぜ、直感や自然体に拘らない方が良いのか」というテーマで書いていきます。

直感や自然体に拘ることで過去の失敗を繰り返しやすい

今、自身が「自然に感じること」というのは、過去の自分の生き方や環境・人からの影響などが作り上げたものです。

そのため、自然体に拘れば拘るほどに、過去の自分のままの行動を繰り返しがちになります。

例えば、昔から自身が浪費家であった場合、自然体でいると、お店などに行った際に「これは買った方がいいんじゃないか」という直感が頻繁に湧きます。
しかし、その直感に従っていたら、過去の自分のままの行動を繰り返すことになり、金欠(本来、使った方が良いことのためにお金を使えない)という問題も繰り返すことになるでしょう。

直感や自然体に拘ることによって、過去の自分に縛られてしまい、目の前の現実に対応できなくなってしまうことがあります。

人生は、本来の自分に戻るための困難を引き起こす

浪費家が自然体である場合、その直感に従っていった結果、金欠になるという困難が引き起こされます。
人生は、そのようにして倹約を促すことが多々あるでしょう。

なぜ、人生はこのようにするのかというと、そこには過去の無知が伴う自我(カルマ)があるからです。
また、人生を通じてそれらの自我を振り落とし、本来の自分に戻れるように導いています。

本来の自分に関しては以下の記事でも解説しています。

人間はこの世で自我(カルマ)を解消するほどに、精神年齢が向上し、死後にはその精神年齢に相応の実体としての生活を営むことになります。

そのため、この人生においては、仮の自分(過去の無知が伴う自我)が出来るだけ解消されていくように困難が引き起こされていくのです。
そして、仮の自分が解消されるほどに精神年齢が向上し、より大きな知恵・力を発揮できるようになっていきます。

では、そのために、具体的にどうしていったら良いのでしょう。

具体的な自我(カルマ)解消の方法

浪費家を例にするなら、自発的に倹約をすることです。

そのための方法は様々ありますが、直接的には、ただこれをするのみと言えます。

出来る限り、困難が生じる前の段階で、自発的にやれるほどに仮の自分(カルマ)は解消されていきます。
なぜ、自発的にやるほどに仮の自分が解消されていくのかと言うと、そこには自由意志の力があるからです。

人生は人間の自由意志を大きく尊重していて、自由意志による判断をするほどに、学びが体系化されて自身の知恵として残っていくようになっています。平たく言うと、成長できる、ということでしょう。

ただ、僕の自由意志の解釈は、一般とは少し違うかもしれません。

【自由意志について】

好きな時に好きなものを食べたり、好きなことをしたり、というのを自由意志と捉えるのが一般的だと思います。

ただ、僕の場合ですと、それだけではなく潜在的自我(霊的自我)による自由意志を主にしています。

誰しも潜在的自我があり、それらは今の自分よりも視野が広く賢い存在です。
それらの自我はこの世において「仮の自分(過去の産物)をより多く解消したい」と考えています。

それらの潜在的自我による自由意志に適った行動をするほどに、それは、本質的な意味において自由意志を発揮したと言えると僕は考えています。

例えば、仮の自分が怒りっぽい性質があったとして、怒りの感情に囚われ様々な判断をするのは、自由意志を発揮しているとも言えず、とても不自由な状態です。
また、実質、怒りの感情を引き起こすきっかけとなった相手(喧嘩相手)などにより判断が左右されている状態でして、自由な判断ができない状態になっています。

この場合、感情から解放されて、物事を客観的に観れるようになるほうが自由だと思います。また、潜在的自我もそれを望んでいます。

ですので、この場合、仮の自分による怒りの感情を鎮めることのほうが自由意志を発揮していると考えています。

次に、自由意志を発揮するほどに学びが残る理由についてお伝えいたします。

自分の意志でやった事なら学びが残る

誰しも経験した事があると思いますが、誰かに言われて何となくやったことでは勉強にはなりません。

反対に、自身の知識や意志力などをフル動員してやったことであれば、何らかの教訓が残り、未来の判断の質を向上させていくでしょう。

このように自由意志でやったことは学びが残りやすいのです。

同様に、親の影響などにより幼少期に刻まれた価値観のままで行動していくと、それは「他者の影響により何となくやっている状態」に近い状態でして、深い学びは残りにくくなってしまいます。

例えば、親に「良い学校にいって、良い会社に勤めなさい」と言われ、ただそれを信じて行ってしまった場合、人生全体としての学びはとても薄いものになっています。
なぜかというと、答えが先にありきで根底にある価値観に疑問を持てないゆえ、その価値観に知覚が制限されるからです。

人生は、人間の発した問いに合わせて答えを示してくれます。

『なぜ、良い会社に勤めたほうが良いのだろう?また、その”良い”の基準って何だろう?』

など、心に問いを重ねる機会があれば、それは自由意志による力を発揮していると思います。
過去の自我(知覚)を破り、より自由になっていると言えます。

しかし、ただ親の影響・過去の環境による部分を疑わずに進めば、そこには何の問いも無く、従って人生からの答えは得られにくくなります。

このように、自身が自然であると思う価値観(過去の自我)を疑い、より深く分析するために問いを重ねることが人生としての学びをより重厚にしていくことに繋がると考えています。

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