引き寄せの法則のようなものは実際に存在しています。

僕の場合、カルマの法則をお伝えしていると、引き寄せの法則に対して否定的な立場を取っていると観られやすいのですが、実際はそうではありません。

引き寄せの法則の「願望が叶っている状態をイメージしていると、あらゆる願望が叶う」という説に対して、どのような願いでも叶うという部分に関して、否定的な立場を取っていると思います。

引き寄せの法則における『意識に相応した出来事を引き起こす』ということに関しては、実際に頻繁によく起こることだと僕は考えています。

今回は、実際によく観られる引き寄せの法則の事例と、それらのカルマの法則との関係についてお伝えいたします。

実際によく観られる引き寄せの法則の事例

このサイトでは動画とは違う例を挙げます。

例えば、誰かの陰口ばかりを言っている人がいます。そうした結果、陰口を言い合う友人が出来ました。
その後もそうした友人が増え続けた結果、しだいに、自分自身がその友人から陰口を言われる立場になってしまう、ということがあります。

これは非常に多く観られる事例なのですが、これらも引き寄せの法則における「意識に相応した出来事を引き起こす」に当てはまるものでしょう。

この場合ですと、人のアラを探すのが楽しいという意識に相応した友人に巡り合い、また、その意識に相応したコミュニティが出来上がり、必然的に自身もそのコミュニティの中で人から陰口を言われる結果へといたります。

これは引き寄せの法則の例として紹介していますが、聴いていても明らかなように、カルマの法則としての要素も含まれています。

引き寄せの法則はカルマの法則の一部

上記の事例をカルマの法則により解説すると、これは一方的に陰口を言われることの不当さと、陰口を言うことの不毛さを学ぶために、同様の価値観を持つ友人ができて、また同様の価値観を共有するコミュニティができています。

そして、その陰口がもたらす全体への影響を学び、行動を改める過程となっているでしょう。

上記の事例では紹介していませんが、実際の所、こうした陰口の多いコミュニティでよく観られるのは、陰口を言えば言うほどに自身の問題が増えてくるという点です。
例えば、夫の陰口を言うほどに、その悪口を言うためのネタが夫により自然と提供されていきます。夫が洋服を脱ぎっぱなしにするのであれば、今後もさらに脱ぎっぱなしにし続け、他の問題なども増えていく傾向にあります。

そして、その陰口を言うための新たな材料を基に、そのコミュニティで陰口を言い続けます。

こうしたコミュニティの人達(同様の価値観を持つ人達)や自分自身の身に起こったことを通じて、その行動の合理性を学ぶことになっています。
そうした学びの舞台が用意されるにあたって引き寄せの法則のような、自身の意識に相応した出来事が起こる、という原理が働くことが多いでしょう。

実際はこのように分かりやすい形ではなく、様々な、人々の長所・短所・価値観などが混ざった結果、様々な出来事が起こりますので一見、それが何のために引き起こされる出来事か分からないことが多いかもしれません。

ちなみに、こうしたコミュニティでは自身が陰口を言われ、結果的に、その友人とは距離を置くことになるという事もありますが、これは必ずしも悪い事ではないと思います。

というのも、自身が陰口を言われる苦しみを通じて、人の陰口を不当に言わなくなるのであれば、それはむしろ長期的には成功といっても過言ではありません。

また、仮に、自身から人のアラを探しまわる性質の自我(カルマ)が無くなり、このことと連動してそのコミュニティから出ることになるのであれば、それは素晴らしいことだからです。
この先はもっと実りのある舞台(コミュニティ)が用意されるでしょう。

この事は陰口を言い合うコミュニティという小さな規模での引き寄せ・カルマの話をしているのですが、実際は、社会全体においてもこれらの原理は働いています。

ただ、それらを詳細に書くと、どこか差別的な表現として受け取られやすいことなので、ここでは割愛させて頂きます。

それで、人がどのような世界(コミュニティ)で生きるかは世界観を基にして決まる部分もあります。

人間の思いの根源となる世界観

例えば、「人間は素晴らしい存在だ」という世界観を持つ人は、人に対して優しく振る舞い、また人から愛されるような振る舞いをしやすくなります。
これらは幼少期に親からスキンシップを受けたり、愛情のある言葉をかけられたりしていると、世界観の中に「人間は素晴らしい存在」という概念が固定化されていきます。

その一方、逆もあり、親から虐待を受けていると、どうしても「人間はひどい存在だ」という概念が世界観の中に固定化され、中々、人に対して優しくなれなかったり、人から嫌われるようなことを無意識にしてしまったりします。

幼少期に出来た世界観の基礎は大人になっても崩れにくく、その後の人生を大きく影響していきます。
また、それらはその人がどのようなコミュニティで生きるかを大きく決定づける要素となります。

そして、その世界観に何か誤った部分などがあれば、属するコミュニティの中で困難を経験するなどして解消されていくことになるでしょう。
※動画にもありますように、自身の世界観の責任は自身を超えたところにもありますので、仮にそれで人に迷惑をかけたとしてもその罪は限定的です。また、それは親も同様であり、親はその親からも大きな影響を受けているため、親に何か思う所があったとしても親を責めないことも大切と思います。

さらに、人間は世界観が全てでは無く、その世界観を客観的に観て、自発的に修正していくこともできます。

上記の事例を用いれば、陰口を言う場合ですと、ほぼ例外なく世界観の中には《自身と違う価値観を持つ人間は理解できないし、したくない》という価値観が大なり小なりあると思います。
※本当は陰口を言う場合についても、その人の固有の事情が無数に入り組んでいるのですが、この記事では誰しも共通する部分のみ抜き出して扱います。

この場合ですと、自発的に、夫の性質であったり、苦手なタイプの人の行動から学び、真似ていくことにより自身の世界観の誤った部分である《自身と違う価値観を持つ人間は理解できないし、したくない》という面が解消されていくでしょう。

文章で書くと、学ぶことの重要性が分かりづらいのですが、根本的には、同じ現状が続くか、そこから解放されるかといった遥かな違いがあります。

というのも、

自身の世界観に相応した世界(コミュニティ)の中で生き、その良し悪し・合理性を知る

というのは、この世・死後の世界までも貫く世界創造の原則でもあると僕は考えています。

そのため、この世で人格的な成長を遂げることは、死後に属することになる世界までも大きく変えていっていると思います。