今回は「職場での努力は報われるのか?」というテーマでお伝えしています。

私は普段からカルマの法則についてお伝えしています。
カルマの法則とは平たく言うと、人にした事が自分に返って来る、という法則です。

それで、日常的に多くの人がしている貢献と言えば、仕事ではないでしょうか。
では、果たして、この職場での貢献というのは報われるのか?
気になる方は多いかもしれません。

今回は、職場での貢献が自分自身にどのように働くのか、お伝えしていきます。

職場での貢献が待遇面で報われるとは限らない

本来なら「報われる」という言葉の定義をしっかりして考える必要があると思いますが、今回、ここは重要ではないので、今回は分かりやすく『職場の待遇面で自分が満足できるだけの結果が得られる』といった定義にします。

結論から言うと、職場での貢献が待遇面で報われるとは限りません。

・残業もして多く働いているけども上司からも会社からも認められない人
・会社での成果を出しているにも関わらず、給料は変わらないし、職場環境も良くない
・会社で働きすぎて体や心が病気になったにも関わらず、保障が出ない

など、様々なケースがあるため、当然、待遇の面で報われるとは限らないというのが実際だと思います。

もちろん、社長や顧客の期待する努力と自分がしている努力がすれ違っているケースもあるとは思います。

ただ、会社が求めるような努力ができている人であっても上記のようなケースは観られますので、その点においても待遇面で報われるとは限らないのが確かでしょう。

では、肝心の人生全体ではどうでしょうか?

人生全体での ” 職場での貢献 ” の価値

人生全体においては、明らかに見返りがあるものと思います。

というのも、自分自身の行動が自分の人格に影響を与えるという原則がある限り、見返りが無いことはありません。
もちろん、会社での貢献で給料として得られなかった分が、後に誰かから臨時収入としてもらえた、あるいは唐突にヘッドハンティングされてより良い待遇の会社へ行けた、など “不思議なこと” は頻繁にあると思います。
これも含めてカルマの法則だとは思いますが、上記のような事が無くても、自身の人格において職場での貢献の分の価値は確実に得られるでしょう。

例えば、会社の給料の3倍働こうと思って、会社が求めるような業務を普通以上にこなし、会社が求める資格なども取ったりしていった場合、その過程でその人は『それだけの事を淡々とこなせる意志力』のようなものが人格に身についています。
これは今後の人生において、職場であろうが、家庭であろうが、あらゆることに通用し、その人を助けていくでしょう。
実際の所、これはお金すらも生む元になりますし、お金以上に通用する力と言えます。

さらに言えば、自身の貢献にたいして物的な意味での報酬、給料などが無ければ無いほど、その意志力は超越性をもつでしょう。

その人の意志力は給料の有る無しといったものに阻害されなかったので、その行動は、『外部による影響を超越した意志力をもつ性質』を自分自身に加えていきます。

すると、その人は外部の影響を超越した努力ができるようになり、さらには、今後の人生で、お金が無いことによる苦しみ、など様々な外部の事に対してあまり動じない精神を得ることができています。

このように職場での貢献というのは、個人単位では報われるとは思います。

しかし、カルマの法則上、問題になるのは「その会社が世界全体にとって良い活動をしているか?」ということです。

会社が自分の性質に合わなくなった場合、転職せざる得ない事が起こる

もちろん、その会社が世界全体にとって良いことをしていない場合があります。
(良いの尺度について詳しく知りたい方はコメントを頂ければ幸いです)

それに対して、自身が成長した事により、他の会社に勤めたほうが世界に対して良い働きができる場合、転職せざるを得ないような事情がやってきたりします。

これには、職場の誰かとの仲たがいなど、精神面の苦痛が伴うようなケースもあるでしょう。
これは職場での貢献をしてきた場合に限らず、職場外で、誰かへの貢献をしてきた場合においても起こることはあります。

というのも、いかに職場での貢献や他の他者への貢献を通じて成長しているとは言えど、まだ自身に感情的な自我や偏見などが残っているなら、それらの解消の意味でも、困難をきっかけに次のステージに進まされることはあるのが事実と思います。

ちなみに、これは会社の道徳的な良し悪しではなく、自身の精神的欠点が克服されたがゆえに、別の人間関係で学んだ方が良いために転職するなどのことも大いにあると思います。

それで、職場での貢献というテーマに絞ってお伝えしてきましたが、実際は、職場外での貢献を主にやるつもりで臨んだ方が良いと私は考えています。

職場外での貢献が職場での困難を減らす

例えば、職場がとても搾取的な環境であったらどうでしょうか。
そこで自身の意志力を上司や社長に搾取されていたならば、そこでの努力はとても辛いものだと思います。
カルマの法則上、明らかに見返りはあるものですが、それはいばらの道を行って精神を鍛練するようなものです。

そして、そこで大切になるのは、職場外での貢献です。

誰にでもやりやすいものを具体的に挙げると、寄付の実践(誰かのためにお金を役立てる行為)であったり、ネットを通じて誰かを褒めたり、励ましたり、などがやりやすいと思っています。
私自身もこれらを行ってきましたし、今も行っています。

職場外での貢献をしていくと、このような、”自身の努力が良からぬ目的のために人から搾取される”といった状況は減っていきますし、予防することにもなります。

以下にその理由を具体的にお伝えいたします。

保身を破るほどに、無理に他者のために働かされることが減る

人間は無自覚にですが、過去から大なり小なり、人から搾取をしてしまっているものです。
それらが人格に積み重なり、自我(表面的な意識)を形成しているのですが、それらを解消するには他者のための奉仕が必要になります。

この際に、自発的に身を尽くして誰かを助ける行為をしていた場合、職場などで無理に働かされることでカルマ解消がされなくて済むようになっていくため、職場外での貢献は《職場での努力の空回り》を防ぐことにつながっています。

厳しい事実に聴こえるかもしれませんが、多くの人は無自覚に、”助けられるはずの人を助けられていないことのツケ”を仕事で苦労することにより、払っているのが事実かもしれません。

本来、私達は今あるお金や労力なども悪い状況にいる人のために使える立場でもあります。

例えば、1例を挙げるなら、経済的先進国の生活は発展途上国から自然と搾取されたものを元に成り立っていることは、多くの人が知るところだと思いますが、それがゆえに、お金の使い方などで発展途上国をサポートすることが可能だと思います。

これはほんの1例でもあり、日本国内で観ても、状況的に恵まれていない人達のために励ましの言葉などをネット上でかけることなども出来る中、実際の所、自分自身の楽しみのみを追求してしまっていることは多いでしょう。

とはいえ、そうなっているのは個人の責任ではありません。

過去から繰り返されてきた「自分の範囲さえしっかりしていれば良い」という考え方の刷り込み、企業などの「消費者に贅沢を志向させるような」過剰なマーケティングなどの結果だと思います。
そのため、人々が自分の人生を楽しむことのみに終始することは、個人の責任を超えたこととして、カルマの法則は個人単位においてはその事による損失を大きく減らしてくれているのだと考えています。

それで、これは自己犠牲が大切というわけではなく、今回の内容でお伝えしているように、他者への貢献というのは自身の人格にストックされ、長期的に人生が繁栄していくことになる、ということでもあります。

そのため、実際は、他者への貢献をしていないことによる損を多くの人は支払っている状態であり、他者への貢献は自分自身に、より大きな繁栄を築くことに繋がっている、と言えるでしょう。

ちなみに、他者への貢献により、自分自身に価値のあるものがストックされていくことについては、以下の記事と動画でも解説しております。
もし、ご関心があられる場合はご覧ください。

_______________________
_______________________

メールによるご相談を受け付けております。

僕へのご相談に関する詳細

なお、このサイトへの読者登録をされたい方は、以下からお願いいたします。

(記事が更新される度に、登録されたアドレスへと通知されます)


 

メールアドレスへと、件名【[カルマの法則] 登録/登録解除のご確認】というメールが届きますので、その中にあるURLをクリック頂きますと登録が完了いたします。

記事の内容に関して、疑問やご質問などがあれば、ぜひコメントをして頂ければ幸いです。どのような内容であっても真剣に回答させて頂きます。