今回は、「他者への貢献(善行)に見返りを求める気持ちがあっても良いか?」というテーマでお伝えいたします。
これはカルマの法則における議論につきもののテーマです。
それで、結論から言うと、以下の2つの理由によって、良い、と考えています。
1 すでに人間は普段から見返りを求めての行為をしている状態なので、それらの行為と比べた時に、他者への貢献を意識した行動のほうがよほど良いと言えるから(見返りの気持ちがあったとしても)
2 《貢献の際に見返りを求める気持ちがあること》と《自身の動機にこだわり相手が助かる機会を失うこと》の二つを天秤にかけた時に、明らかに、他者への貢献をするほうが良い結果になるから
今回は、この2つの理由を掘り下げ、なぜ、他者への貢献に見返りを求める気持ちがあっても良いのか?についてお伝えしていきます。
すでに、見返りを求める気持ちがあったらダメ、という基準が機能していない
まず1の理由について詳しくお伝えしていきます。
人間はすでに見返りを求めての行為を日常的にしている状態です。
例えば、
- お金のために仕事をする
- 人に対して、自分の要求を通すための働きかけをする
- 払った値段相応のサービスを期待する
- 付き合いたいと思った異性と”付き合いたい”と思って関わる
など、実際には書ききれないほどの「見返りを求めての行為」をしている状態です。
ですので、そもそも、見返りを求める気持ちがあったらダメ、という基準が機能していないと言えるでしょう。
それで、それらの見返りを求めての行為の多くは、自分の得だけを考えてしている場合も多いと思います。
普段している行為よりも他者への貢献を意識する方が良い可能性がある
この【自分の得だけを考えてしている行為】と【見返りの気持ちがあっても他者への貢献をする】を比較した時に、その行為が他者のためになる度合いと他者のためになりたいという思いの量を比べると、見返りの気持ちがあっても他者への貢献をする方が明らかに上回ると思います。
普段している行為と相対的に考え、その他者への貢献のほうが世界のためになるのであれば、それはした方が良いと思います。
また、そのことによって得られるものもあるでしょう。
貢献によって得られるものに関しては、以下の記事などでも解説させて頂いています。
次に、2番目の理由である
《貢献の際に見返りを求める気持ちがあること》と《自身の動機にこだわり相手が助かる機会を失うこと》の二つを天秤にかけた時に、明らかに、他者への貢献をするほうが良い結果になるから
について解説していきます。
自分の動機にこだわり相手を助けないことも利己的な行為
一般的には、他者への貢献の際に見返りを求める気持ちをもつこと、に利己的な印象がもたれることが多いのですが、自分の動機にこだわって相手が助かる機会を失わせることも利己的な行為だと思います。
そのため、この2つの利己的な行為を天秤にかけて判断する必要があるのでしょう。
A 他者への貢献の際に見返りを求める気持ちをもつこと
B 自分の動機にこだわって相手への貢献機会を失う
の2つを比べるための前提として、カルマの法則の原理を考慮する必要があります。
さまざまな原理があると思いますが、もっとも基本的なものとして、【カルマの法則はその行為を動機と結果の両方により評価する】というものがあります。
これに照らし合わせると、Aは実際に行動したので結果が生まれるのに対し、Bは動機にこだわり相手のために行動しないので結果が生まれません。(厳密にいえば、自分が行動しないことで相手に起こった結果は生まれると思いますが)
そのため、相手が助かった場合に、助かったという結果が生まれる分だけ、Aの方がカルマの法則的に良いと判断しています。
実際の所、見返りの気持ちをもっていても他者への貢献をした場合、相手が助かったことが分かると「もっと人のためになりたい」という思いが湧いてくることが多く、次にはもっと利己性から脱却できる機会も生まれると思います。
ただ、Bの場合、自分の動機にこだわり何もしないのでそれも生まれません。
また、1の理由で前述したとおり、Bの考えは決定的な矛盾をはらんでいることが問題だと思います。
日常的に見返りを求めての行為をまったくしていないのであれば、「見返りの気持ちをもって人に役立とうとするのはダメだ」という考えは分かるのですが、すでに日常的に見返りを求めての行為をしている場合、それは矛盾の上に成り立っている考えだと思います。
このような矛盾をベースに思考をしつづけると、その思考が非合理的な分だけ、さまざまな問題が生じてしまったりもします。
仮に、見返りを求めての行為を普段からしているのであれば、それを前提に考えていくのが思考のスタートラインとして適切であると私は考えています。
以上、これまで扱ってきた2つの理由によって、『見返りの気持ちがあっても他者への貢献をする方が良い』ということが言えます。
ちなみに、以下、注意点になります。
実際に見返りを求めること、と、見返りを求める気持ちがあることは違う
見返りを求める気持ちがあることだけでは相手に大きな迷惑をかけることは無いと思います。
ただ、実際に見返りを求めた場合にはさまざまな問題が起こりえるでしょう。
(事前に相手との合意が実際にあったのであれば大丈夫だと思います。ただ、この場合は他者への貢献以上に取引といった要素の大きい行為だと思います)
相手側からすれば「そんなこと求めるぐらいなら、やらなくていいよ」と思うことも多いでしょうし、それは相手からするとありがた迷惑に終わってしまうので、他者への貢献とも言い難いものだと思います。
・実際に見返りを求めること
・見返りを求める気持ちがあること
この2つは大きな違いがあります。
混同する人もそれほどはいないと思うのですが、念のため、注意点として書かせて頂きました。
ちなみに、以前にも「善行に見返りの気持ちがあっても良い」というテーマでお伝えした記事があります。
今回とは別の角度で解説させて頂いているので、関心があられる方はご覧頂ければ幸いです。