この記事では寄付の実践についてお伝えいたします。

ただ、寄付の実践は「自由に扱えるお金がある」という前提で行ったほうが良いと思います。
例えば、家計を同一にする家族がいる場合、独断でそのお金を寄付に使ってしまった場合、それは家族の自由意志を無視することになってしまうからです。
(カルマの法則上、周囲の人の自由意志は尊重することが望ましいという理由があります)

ですので、寄付に関しては、自身で扱えるお金の範囲で行うようにするのをおススメいたします。

次に、なぜ、精神成長のために、寄付の実践をした方が良いのかについてお伝えいたします。

寄付が精神成長にあたって効果がある理由

カルマの法則上、保身を破り他者のために尽くす行為が大きく報われます。

それはなぜかと言うと、地球上の人達の自我がおおよそ「保身のためにした過去(前世含む)の行動」により形成されているため、根本的なカルマ解消(自我解消)には、他者のために尽くすということが必須だからです。

誰しも、もつれた紐を解くためには、もつれた時と逆の方に解いていくと思います。
同様に、その自我が形成された時と逆の行動をすることで解いていきます。

僕はこの、保身のためにした過去の行動により形成された自我、を「地球人的自我」と呼んでいます。
地球人的自我を解消することができるほどに、人間が囚われがちな物質の多少などが幸福度に影響せず、また、読書などを行わずとも重要な知恵が潜在意識から得られやすくなります。

それで、人間は所有するお金と保身の思いを関連づけやすいため、お金を他者の為に使う行為が「保身の自我」(地球人的自我)を破ることに繋がります。

その際は、周囲の人達以上に、自身と直接関係の無い人達(与えても相手から見返りが返って来ない対象)に与える方が有効であり、そのため寄付という形で実践するのが良いと思います。
(周囲の人達のためだけにお金を使い続けると、高い確率で、周囲の人たちの長期的未来にとって良くない形になります)

さらにお伝えすると、カルマの法則上、「人(世界)にした行為が自分(自我)をつくる」という事から分かるように、人間は世界と連帯関係にあり、本質的には世界=自分というのが道理上成り立ちます。

そのため、自分に見返りが無いのに世界のために尽くす事ができれば、また、それが当たり前になれば、その人は本質的に世界そのものに近づいているという事が言えます。
これは机上の空論に聴こえやすいと思うのですが、実際の所、世界のために純粋に尽くせるようになるほどに、潜在意識からの知恵が入りやすく、またカルマの法則による助力が入ることからも、実質、その人は世界そのものに近づいていっているでしょう。

ただ、寄付というと不安なのは「それが、良くない寄付先であったら…..」という点では無いでしょうか?

寄付先の良し悪しは自身にどう影響するか?

もちろん、寄付先は良い方が、実践にあたってより多くの絶対的価値のあるモノが得られます。
そして、地球人的自我を破る結果にはなるでしょう。

ただ、寄付先はいかなるモノであっても真剣に選んだものであれば、マイナスにはならないのが実際です。
というのも、自分の身体的欲望を満たすためにお金を使うのと、寄付したが結果として悪い寄付先であった場合とで比較した場合、保身を破れる度合いが大きいのは「結果として寄付先が悪かった場合」となります。
つまり自身の欲望を満たすためのお金の使い方よりも、大部分、その寄付がいかなる質であっても有効に働く可能性が高いということです。
※極限まで寄付をしないと不安という精神の持ち主であれば、これは、寄付をすることで保身を図っている(自我を保っている)状態になるため、この場合、寄付が大切ではありません。

また、これは僕の主観的根拠になるのですが、現状、寄付によって成り立つ団体があまりにも少ない状態です。
現在の世を生きる人からすればそれほど不思議ではないかもしれませんが、人類にとって真に生産的な助け合い社会を迎えるにあたって、あまりにも少なすぎる状態です。

それゆえに現状、寄付先が維持される・寄付によって活動する団体が増えること、そのものが世界にとって良いという事が僕の考えの上では成り立っています。(これを正しいというつもりはなく、その解釈は読む人にお任せしています)

寄付先の選び方

寄付先を真剣に選ぶという事はとても大切でして、その際には、寄付した額あたりどれほどの人が助かるのか?を考えるのは一つの目安となり得るでしょう。
1万円あたり1人が助かる以上に、1万円あたり10人が助かる方が良い寄付先と、ひとまず判断しても良いと思います。
(実際にどの団体にどれぐらいの寄付が流れた方が良いのかは人知を超えたテーマですので、経済的合理性はおおよその目安にしかなりませんが)

また、個人による寄付以外に、大きな資金源のある寄付先などはあまり優先しなくても良いと思います。
個人の寄付により成り立つ団体であるほどに、個人の寄付は活かされやすくなるでしょう。

その他、寄付を活かせるだけの組織力があるか?など、考えたらキリが無いことではありますが、出来るだけ真剣に考えた結果、選ぶ寄付先であればそれが良いと思います。

全体的な傾向としては、宗教関連は寄付先としては不適切なことは多いです。
というのも、真に良い宗教というのは、宗教の存続以上に世界のためを考えるので、お金を自身の元に集めないと思います。
それぞれの人に道理を学ばせるために「自身の判断により良いお金の使い方をしなさい」と伝えるだけです。
こうした理由があるので、真に良い宗教とは組織になりづらく、形にもなりにくいです。

ゆえに、現状、宗教関連に対する寄付はあまり世界のためになりにくいのが実情だと思います。
(実は、僕は宗教の存在意義を否定してはいません。宗教の存在は全体として肯定的に観ています)

ちなみに、寄付先が悪い面が多い場合(また、もっと良い寄付先がある場合)、寄付先の悪いニュースを目にする機会が訪れることになるでしょう。
これは実践した多くの人が経験することになるのではないでしょうか。

なお、「寄付により絶対的価値の高いものが多く得られる」とお伝えしていますが、それは心地よい体験ばかりが続くのではありません。
辛い体験も多く起こってくるでしょう。

過去のひずみを修正するための膿みだし現象

現在、持ち合わせている知識の多くが間違っている場合、正しい見識を得るための出来事が起こります。
例えば、迷信じみた知識を信じているのであれば、その知識により痛い目に合う事で、より真実に見合った見識を得るにいたるでしょう。
絶対的価値が高いということは、より真実に近いということです。
仮に、現在の自分が真実から遠い事を信じていた場合、「過ちを知るための出来事」が気づきにあたって必要になるのは間違いありません。

人間は自由意志が存在しているがゆえに、自動的に正しい知識がインストールされ、その通りに動けるわけではありません。
あくまでも外的な環境をヒントに無限に深い真実を一つ一つ探っていく過程を経ていきます。

絶対的価値の高いものを速く得るほどに、膿みだし現象のような辛い出来事が起こるでしょう。

実際の僕の事例をお話しすると、その当時の僕は起業を志していましたが、本を読むばかりで行動する意欲がありませんでした。どこか、家族が養ってくれることに依存していたのです。
すると、寄付の実践を始めてから、母親の借金の場面を観てしまい大きなショックを受けました。
それで、何が何でも稼いでやるとその当時は思い、当初の欠点であった「他者依存傾向(特に本の知識への依存)」が断ち切られ、自立心(論理立てて自力で考える思考含め)を少し得るにいたりました。
その結果、起業により収入を得ることができました。

この場合、「他者依存傾向」よりも「自立心」の方が絶対的価値がありますので、そちらが得られた形になるでしょう。
このように、前進していくほどに、大きなショックを伴うような出来事は誰しも起こると思います。

また、寄付による実践の真の素晴らしさは、自身の間違った正義を正してくれる面にあります。

自身の間違った正義を防ぐ

子供の事を心配しすぎて過干渉の親の多くは「子供のために良いことをしている」と思っています。
他、ネット上で誰かを叩く人も「正義のために良いことをしている」と思っています。

しかし、実際にそれが世界のためになっているかどうかは別です。
そうではないことも多いでしょう。

寄付による実践というのは、保身を破れる度合いが大きいことから、自身の間違った正義を防ぐ力があります。
膿みだし現象の項でも書いたように、自身の過ちを知るための出来事を起こしてくれることが多いです。

心配性から子供の世話を焼きすぎる場合であれば、世話を焼いたことによる大きな問題と直面することになるでしょう。
この問題によって、正しい判断をせざる得なくなり、より真実に近い見識を備えていく事になります。

人生において間違った正義ほど時間を浪費し、また、人を苦しめてしまうものはありません。
寄付の実践を優先した方が良いのはそれらを防ぎやすいからです。

間違った正義のすべてが保身(他、個人的な感情)により成り立っているがゆえに、保身を破れる度合いの大きい寄付により、自身の間違った正義に終止符を打つきっかけが得られます。

当初の運命上、20年ほどかけなければ気付かなかった過ちであっても、1年の寄付の実践で過ちに気付き、人間的に大きく成長できることも多くあるでしょう。

個人的な実感としては、寄付の効果は、学びという意味で、あらゆる自己投資に勝ると思います。
それはこのサイトによる知識とて同じ事であり、仮に、このサイトや僕の動画で30年間知識を得ただけの人よりも、1年間、寄付などを含め保身を破って他者のために尽くした人の方が学びは深くなるでしょう。

資本主義のルールがあるからこそ、寄付は精神成長にあたって有効に働きやすくなっていると思います。

なお、今回は寄付のみを取り上げましたが、買い物なども世界に与える影響は大きいです。

世界にとって良いと信じられる企業にお金を使う

例えば、動物愛護団体に寄付をするとします。
しかし、現状、動物実験などは常に様々な企業で行われておりその企業にお金を使うという事自体は「動物を助けるお金の使い方」からは遠いものになるでしょう。

ですので、この場合、動物実験を行わない企業にお金を使うことも寄付と少し近い効果があります。

ただ、過去にこのような考えを持たなかった人であれば良いのですが、寄付よりも買い物を優先してずっと続けていると、この場合、「動物実験反対に対する執着」「環境に対する執着」に変わり、その面において問題が大きくなっていきます。
また、自身だけはより安全なものに囲まれていたいという利己的な思いなども絡んでくるでしょう。

動物実験反対に対する執着の何がいけないのかと言うと、それは動物実験を行う企業に対する恨み(視野の欠如)に変わるからです。
実際の所、動物実験を行う企業は消費者の「安い物を買わなければ生活が立ち行かない」という恐れに対応して行っているケースが多く『根本の問題は人間の欲望や保身の思いにある』という真実が観えなくなってしまうのです。

その真実が観えなくなった場合、何らかの形で、その企業にお金を使い続けることができない事情が現れてくるでしょう。

ちなみに、自身が寄付の実践により保身の思いを解消していくことは、回り回って、企業が動物実験を行わなければいけない理由を無くしていくことに徐々につながりますので、僕の考えでは、世界のための買い物以上に、寄付を優先した方が良いと思います。
仮に、その結果、動物実験反対に対する執着が薄れ、動物実験をしている企業のためにお金を使う事になってもです。
(現状、そのような企業には多くの人が働いていますので、その人達にお金が入る必要がある一面もあるのが事実です)

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