簡単にカルマの法則を表現するなら「人にした事が自分に返ってくる法則」です。
それで、カルマの法則を活用し、さらにその内容を理解するために大切な事は、『誰に何を与えたら、どのような影響が返ってきたのか?』を分析していくことだと思います。
上の動画の中でもお伝えしていますが、僕も食べ物を人々に配ってみたり、ネットを使って人を励ますような言葉をかけていったり、寄付などで実験をしてみたり、など、分析を続けていました。
そして、今も、カルマの法則の知識を他者に伝える事で、自身にどのような影響があるのかを分析し続けています。
カルマの法則の理論からすると、人にした行為に相応の影響が自身の人格(自我)として蓄積され、その人格による結果を受け取ることになります。
ゆえに、人にした行為が自身の人格にどのような影響を与えるのか?を確かめるには、より明白な形で他者のための行いを変えていく必要があるということ。
そこで、次に考える必要があるのは、どのように他者のために役立てばいいのか?というテーマではないでしょうか?
他者の役に立つということ
僕の考えでは他者への貢献は下記のように様々あります。
- 誰かを元気づけたり勇気づける行い
(例 相手への褒め言葉・感謝や愛の言葉を伝える・応援など) - 相手が欲しがるような何かを物的に与えること
(例 寄付・贈り物など) - 相手が幸せな気持ちになれるような環境的条件を整えること
(例 掃除・片づけなど) - 誰かの願望を直接叶えるか、叶えるための手伝いをすること
(例 仕事を頑張る・悩み相談を受けて解決法を伝える・相手のニーズに合う人を紹介する事など) - 自身の性質を改善することで結果的に相手のためになること
(例 自身の欠点を克服する事で、結果的に、自身を通じて誰かが助かる)
上記のような貢献のどれもが大切だと思うのですが、中でも、僕が「カルマの法則の検証」という意味でおススメするのは、1のような、人を元気づけたり勇気づけるような行い(特にネットを通じて他者を褒めたり励ますような言葉をかけること)です。
ネットで人を励ます言葉をかけるのが良い理由
ネットを通じて他者を褒めたり励ますことは、ネット環境があれば誰でも出来ますし、相手を実際に喜ばせられる確率が高いからです。
僕自身の経験からしても、人からかけられた言葉は些細なものでも人生を大きく変えることがあります。
例えば、僕は声が気持ち悪いという形でいじめられていた事があるのですが、その時に、声を褒めてくれた人がたった一人いて、その事だけで自身の声に対する見方(世界観)が変わり、その精神構造は現実に投影され、翌日から声のことではいじめられなくなった事があります。
(この出来事をきっかけに自己イメージを変える方法・世界観を変える方法を見つけ、後に、様々な願望を叶えるにいたりました)
同様に、人に対して良い言葉をかける事は、相手の人生に大きく影響する事が多々あります。
そして、その影響は自身に返ってくる、ということです。
これに関しては逆のパターンを考えると分かりやすいかもしれません。
ネットで他者に悪い言葉ばかりを投げかけている人
他者に対する配慮なく、ただただ感情的に悪い言葉を投げかけている人は、より一層、頑固さ(精神の硬直性)が増し、偏見と盲信を身に着けてしまっている様子は多くの人が観た事があると思います。
では、その逆をやったらどうか?
他者を傷つける言葉ばかりを言った場合の影響を逆にすれば、言葉で人を元気づけた場合、人の意見を聴く素直さが生じ、偏見が少なくなり真実を見抜く心が身に着くという事になります。
これに関しては様々な人が実際にやって確かめるしか無い所なのですが、僕自身は、まさに上記の通りの影響が得られたと感じています。
ネット上を見渡せば、様々な落ち込んでいる人を発見できると思いますので、相手が元気を出せるような言葉を真剣に考えて可能な限り声をかけていく事が良いと思います。
ただ、これが良いと思うのは、あくまでも僕の狭い経験の中での話です。
(具体的な手掛かりを一つ提供したいという思いから、僕が良いと思う方法をお伝えいたしました)
実際の所、カルマの法則の検証は何から始めても良い
人それぞれ立場があり、できる事も様々だと思います。
人によっては職場の同僚に差し入れできる環境にあるかもしれませんし、人によっては両親に感謝の言葉を伝える事ができる境遇にあるかもしれません。
仕事上のクライアントのためにいつもよりも多くの事をしてあげる事であったり、奥さんや子供が喜ぶような事かもしれません。
まずは気軽な気持ちで他者のための行いを始めて、自身の精神への影響を観察することが大切だと思います。
仮に、それで良い結果が出るのであれば、ひとまずそれを続けていけば、自身の心がより心地よいものになり、かつ、その習慣は良い人生を生む軸になりえるでしょう。
カルマの法則の検証を14年続けてきた僕自身の感想を率直に申し上げると、「カルマの法則を知る前は、人生の楽しみ方をいかに知らなかったかが分かる」という言葉になります。
実際に他者のための行いを集中的にやっていくと、実に、人生は様々な形で自身に影響を返してくれることが分かります。これはゲームのようでもあり、それがゆえに、カルマの法則を知る前は人生を楽しむためのルールを知らなかったとも言えます。
とはいえ、僕は世界は無限に広がっていると考えておりまして、僕の知るカルマの法則は真相のごく一部なのだとも思っています。
そして、僕が知ることが出来なかった事を、このサイトを見てカルマの法則の検証を始めた他の誰かが知る事ができるのだと考えており、その誰かから教えを頂ければとても嬉しいと思っています。
次に、「善行によって得られる絶対的価値が高い物とは何か?」について以下の記事にて解説しています。
他、「寄付の実践とその効果」については以下の記事にて解説しています。
他、善行と同様に大切な「精神的欠点の克服」というテーマについては以下の記事にて解説しています。
はじめまして。
5ちゃんねるのスレッドから興味深く読ませていただいております。
「カルマの法則」に関して、少し疑問がありますので質問させてください。
例えば隣近所の方にある善行を行って、そのお返しに菓子折りなど頂きました。
そこで私は、「ご近所さまにこの前の善行のようなことをすると、気を遣ってまたお返し物をしなくてはならない義務感を与えてしまうので返って迷惑なるのではないか?」と考えるに至り、善行を止めてしまいました。
これは実際にあったことなのですが、こういった場合、カルマの法則はどういった働きをするのでしょうか?
はじめまして。
コメントを頂き本当にありがとうございます。
ご縁を頂き光栄に思っています。
コメント主様の判断はとても理に適ったものだと私には感じます。
おそらく、これは多くの人が考えることになるケースでは無いでしょうか。
相手の心理を考えると、その行為を受ける喜びよりもお返しの義務感の方が勝ってしまうため「その行為(善行?)はしないでもらいたい」と感じるケースは多々あると思います。
コメント主様は賢明だったと思いますが、仮に、これをずっと続けてしまった場合、《見当外れのことをしてしまう性質》《自身の感情が先走ってしまう性質》《なぜ、こんなに人にしてあげているのに報われないのか?という被害者意識》などが自身の人格に染みついてしまい、その性質による困難が生じてくるかもしれません。
また、逆に言えば《なぜ、こんなに人にしてあげているのに報われないのか?という被害者意識》がある内は、自身のしている何かが、ありがた迷惑に終わってしまっている可能性があるということも示すと考えています。
それで、この場合、その相手に何かをするのではなく、他の場所での貢献に目を向ける方が良いと考えています。
また、他の場所で、世界に対してより高度な貢献をするほどに、全体として、自身の行為が、ありがた迷惑に終わってしまう確率は下がっていくものと考えています。
こちらこそ丁寧にご回答いただきありがとうございます。
とても納得いきました。今後も学ばせていただきます。
こちらこそ素晴らしいご質問を頂き感謝しております。
今後も、何か疑問点や気になることがあれば、お気軽にコメントを頂ければ幸いです。