今回は、この世で霊能力が現実にあまり役に立たない理由についてお伝えいたします。
霊視やチャネリングなどは一部の人によって行われていますし、僕自身も、「潜在意識から情報を得る」といった霊能力とくくられるようなことを普段からしています。
ただ、霊能力に関する議論でよく湧きおこるのが、もし、霊能力というものがあるなら、なぜ、犯罪捜査や災害の予知ができないのか?といった疑問です。
これはごもっともですし、ある種、理に適った意見だと思います。
しかし、僕の考える所では、この世には霊能力が発揮しづらい条件があると考えています。
その条件とは、人々の精神成長(カルマ解消)を損なわない程度でしか霊能力は発揮できないというものです。
今回の記事では「人々の精神成長の道を守るために霊能力に制限がかけられている」という内容について、詳細にお伝えしていきます。
霊能力で全てが解決できるなら人類の進歩は破綻する
犯罪も霊能力で犯人を簡単に特定できて、霊能力で自身や人の未来を知ることができ、何の努力も無しに苦労を避けることができるとしたら、人類の進歩の道のりは破綻するでしょう。
例えば、人それぞれ精神成長(カルマ解消)の道のりを行っているのですが、警察に所属する人は、警察の立場で学ぶものがあるゆえに、その職に就いています。
それは犯人の行動を予測する洞察力であったり、他部署の人間と連携して事にあたる力であったり、地道に捜査を続ける力であったりなど、様々です。
しかし、霊能力により犯人が簡単に特定できるのであれば、警察は霊能力に頼りはじめますので、上記の力が得られなくなってしまいます。
そのため、様々な人の精神成長を阻害しない程度でしか霊能力は発揮できないよう、カルマの法則により制限がかけられていると僕は考えています。
他の人や自身の未来を知るなどのことも同じです。
明白に未来を知ることが出来るのであれば、自身の意志で未来を選択する力・物事の取捨選択をしていく力・逆境の中で努力する力・失敗を恐れないで行動する力などが壊滅的に失われてしまうでしょう。
カルマの法則は人間の精神成長の道を守る以上、その道を揺るがすような霊能力は発揮できないようになっていると思います。
では、霊能力は存在しないのか?
というと、霊能力自体は存在すると思います。
物質により人間が制限されている現代において、霊能力の存在も必要となる
本来、人は物質的な存在ではなく、精神的な存在(霊的な存在)です。
そのため、物質に依存せず、自身が知ることができないはずの事を知ることができたり、カルマにおける条件次第では、誰かの傷を速く癒すなどのことも可能になると思います。
現在の人間の精神は「物質とはこうあるべきもの」「したがって、怪我はすぐには治らない」という認識に囚われていて、これは物質に人間が制限されている状態と言えます。
それゆえに、現状、この世は物質主体のルールにより構成されており、ほぼ全ての人は物質に制限された人生を送ることになっています。
しかし、実際は、人間は精神主体のルールで生きることもできる存在だと考えています。
お金にも囚われず、また怪我や病気の恐怖にも囚われずに生きることができると思います。
また、そのような人が増えるほどに、人類全体では怪我を自由に治せるような霊能力を発揮したり、人間同士でテレパシーでやり取りなどが出来るようになっていくでしょう。
人類全体の精神が自由になっていくにつれ、自由な場(世界)を形成していくためです。
おそらく、荒唐無稽に聴こえる内容だと思いますが、カルマの法則を知れば知るほど、そう考える方が妥当という結論にいたっています。
また、物質に人間の精神が制限されている以上、霊的な力に人類が関心を向けるためにも、霊能力自体の存在意義はあります。
そのため、場合によっては、様々な霊能力を発揮できる人も現れていくでしょう。
ちなみに、霊的な力というと特別なイメージが付きまとうかもしれませんが、実際は、とても身近なものだと思います。
霊能力の代表的なものである「潜在意識から情報を得る」といったことは誰でも可能でしょう。
霊能力を発揮するための手順
潜在意識から情報を得るための手順があるとすれば、それは、精神的欠点の克服に繋がるような行動を起こすことでしょう。
例えば、映画の主人公がいて、臆病さが欠点だったとします。
しかし、その主人公が勇気のある行動をした際に、なぜか、上手くいくための方法が心の内側から浮かび、その方法にてピンチをより良く切り抜けることができました。
同様に、僕達の場合でも、臆病さを持つのであれば、その臆病さに反した勇気のある行動を取ることにより、必要に応じた潜在意識からの知恵が得られるようになっています。
※ただ、多くの場合、潜在意識からの知恵とは情報としてやってくるのではなく、無自覚の良い行動(意識下で潜在意識の情報を参照した行動)が生じるという形でやってきています。
これは、情報という形でやってきてしまうと、”情報を待つ”という受け身の姿勢が人間に身につきやすいためです。
なお、これにはカルマ的背景がありまして、これを解説する場合、下記のような形になります。
臆病さの強い自我(カルマ)を持つ人は、その臆病さゆえに不要な恐怖に振り回されています。
例えば、人が怖いのであれば、その人を避けるという形で行動しがちになるでしょう。
しかし、その臆病な自我による行動を続ける限りは、その人を一層怖く感じるような出来事が起こりがちになるでしょう。
というのも、その人が臆病さを解消するために、相手は怖い存在である必要があるからです。
しかし、勇気を持って「その人を避けない」むしろ「その人に積極的に話しかける」といった事をした場合、相手が怖い存在である必要が少なくなっていきます。(すぐにそうなるかは分かりませんが、長期的には必ずそうなります)
そのため、自身の潜在意識から「相手とより良く接するための知恵」のようなものが湧いてきて、相手との関係が良くなったりするでしょう。
このように、精神的欠点の克服に従って、欠点に由来する困難が無くなる・同時に、その困難を無くすような知恵が湧くといった形になっています。
ちなみに、精神的欠点を本質的に表現するなら、真実と離れた行動傾向です。
怒らなくて良い時に怒ることが多いのであれば、それは怒りっぽいことが精神的欠点です。
慌てなくて良い時に慌ててしまうのであれば、それは慌てやすいことが精神的欠点です。
このように、真実というものがあり、その真実からズレた行動をしがちな部分が精神的欠点と言えるでしょう。
そのため、真実(事実)に沿って行動できるほどに潜在意識からの知恵が得られやすくなると思います。
以下の記事では、今回の記事に関連して「小我(自我)による行動をストップする事で、大我(潜在意識)による行動が生じる」という事を解説しています。