カルマの法則上、とても大切なテーマに「精神的欠点の克服」があります。
なぜ、それは大切なのでしょうか?
真実をベースにした生き方をするにあたって、必ず、経ることになるプロセスだからです。
上記の動画にもありますが、精神的欠点を克服することは真実(真相)に見合った行動をするということでもあります。
真実に合わない行動傾向こそが精神的欠点
本当は怒らなくても良い場面で怒ってしまう事が多いなら、それは、真実からかけ離れた行動ということになります。
そのため、この場合では、怒りの感情を自制することで精神的欠点が少し克服されるということになるでしょう。
このように、人間には、真実からかけ離れた行動を取りやすい部分が人それぞれ存在しています。
これが精神的欠点です。
人生は精神的欠点の克服のために存在する
人間は「真実を観えなくする錯覚」を除去するためにこの世の生を受けているという面が少なからずあります。
そのため、精神的欠点の克服(より多くの錯覚を取るための行動)をする人に対しては、人生全体によりサポートが得られます。
これらのサポートは貯金などよりも遥かに人間の身の安全を保証してくれるものです。
(そもそも、精神的欠点の克服の過程で、必要な物を得るように動く事になるため)
そのため、真実を観れば、精神的欠点の克服のために努力をしているならば、自身を守るために余分な財産を保持しておく必要はないのが事実でしょう。
では、次は、精神的欠点はどのように克服したら良いか?についてです。
常に事実をベースに物事を考える
自身の価値観に反することを人から言われたとします。
例えば、何かの勉強をしていたのであれば、相手から「私の学んでいることの方が優れている」と言われた、など。
この場合ですと、感情的に反応しがちですが、事実をベースに考えるなら、自身と違う生き方をしてきた人が、自身と違う主張をしているだけです。
特に、反論して身を守らなければいけない事情も無いことが多いでしょう。
本来、そこに感情的に反応する必要は無いのが事実だと思います。
また、『自身の知らない世界を知ること』を勉強と認識している場合であれば、逆に、相手の意見を聴いて参考にすることの方が事実と合っています。
そのため、感情を自制して、相手の言う事に耳を傾けることの方が精神的欠点の克服に繋がり、また長期的に良い結果を得ることに繋がるでしょう。
人生は精神的欠点の克服のためにあるので、真相に則った行動が長期的に報われるように動いていきます。
このように精神的欠点の克服の過程では、『感情が揺さぶられる事に対し、感情を自制して事実に合った行動を取る』という機会が多くなると思います。
というのも、感情とカルマには密接な繋がりがあるからです。
自身に存在する「感情が揺さぶられる自我」こそが過去の行為のひずみ
例えば、過去に人の悪口を言ったことで、人から悪口を言われるであろう要素が人格(自我)に加わります。
すると、何らかの悪口を言われるような立ち振る舞いをしてしまうのですが、悪口を言われた際に、大いに感情が揺さぶられます。
というのも、人から悪口を言われるであろう要素には、感情的に揺さぶられやすい性質がすでに織り込まれているからです。(悪口を意に介さない人であっても、堂々とした態度の根底に強い感情が働いています)
これらの感情を通じて、人間は行為の良し悪しを学んでいきます。
それがゆえに、自身にとって学ぶべき要素が多いところに強い感情が働いています。
ただ、自身が悪口を言わないのに、周囲からの陰口で悩むケースも存在するでしょう。
前世の生き方が刻まれた潜在的自我の解消(カルマの解消)
人間には無数の前世があり、前世で出来た人格は潜在的自我(潜在的性格)として刻まれています。
この世においては潜在的自我の解消までも行っていくために、「自身は悪口を言わないのに人から言われる」などの事が起こり得ます。
例えば、自身の表面的自我は不器用で知能に欠けているとします。
その一方、潜在的自我は能力主義で、物事を能力ではかる性質が強いとします。
自身に能力が欠けていることを知っているので、今世において人を能力で蔑んだりはしません。
ただ、この場合、自身の潜在的自我は表面的自我の能力の無さを強く否定します。さらには、周囲の人からも能力が無いことで蔑まれる場合もあるでしょう。
これは、前世において出来た能力主義という性質が、誰かを能力という基準で低く観てしまったこと
で出来たものであるがゆえに、今世において潜在的自我の解消という意味で、能力的に低く観られることでカルマ(自我)が解消されている一例です。
このように、「自身はしていないのに人からされる」といった場合、無数に存在する潜在的自我のいずれかを解消することになっています。
ただ、困難を経験するだけがカルマ解消(精神成長)ではありません。
困難を早く終わらせるためには?
事実をベースに物事を考える以外では、「偏見対象を理解するよう努めること」が挙げられます。
(広い意味ではこれも事実をベースに物事を考える、の内に入りますが)
例えば、能力に欠けている事に負い目(偏見)を感じるなら、それを解消する必要があります。
そのために、能力が低いゆえの良いことを理解することが大切でしょう。
それらを挙げるなら
- 能力が低い自分をサポートするために他の人の能力が上がる
- 能力が低いことで他の人に対して尊敬の気持ちが持てる
- 能力が低い分、人が自分のために動いてくれやすい
など、様々あります。
こうした事をより深く理解できるほどに、「能力が低いゆえの困難が起こる理由」が無くなっていきます。(そもそも、現在の困難は能力が低いことの良い面を理解するためにも引き起こされているゆえ)
実際、精神成長を大きく遂げた後では、個人としての能力の有無などには囚われなくなります。
そうなる事で、自身が能力を大きく発揮できるようになっても人を蔑む気持ちを持たなくなるでしょう。
いざ能力を持った際に人を蔑んでしまう危険性が無くなる度合いに合わせて、真の意味で、能力を発揮できるようになっていきます。
この記事のテーマに関連して、下記の記事では「真実を知ろうとすることによりカルマ解消が行われる」という事について書いております。
もし、ご興味がおありの方はご覧下さいませ。