カルマの法則において、無料の物を得た際に代償はあるのか?についてお伝えいたします。
無料で得られるものが多い現代では「無料のものを得る度に、何か、代償を払っているのではないか?」と考えるのは自然なことだと思います。
今回は、カルマの法則による無料の物を得た際の代償について詳細にお伝えしていきます。
人に対して労力や金銭を割くことへの抵抗が強まる
無料の物を得たときの代償には様々なものがあります。
得た物の種類の数だけ、その形は様々です。
特にあらゆるものに共通する、代表的なものを挙げるのであれば、
人に対して労力や金銭を割くことへの心理的抵抗が強まる
ということです。
親が甘すぎるお金持ちの家の子供を思い浮かべるのが一番分かりやすいでしょう。
無償で子供にあらゆる物を与えていくと、その子供は、人に対して労力を割くことが億劫になっていきます。その結果、かえって、人間関係におけるストレスは強まり、何にも満足できなくなってくるでしょう。
僕達にも、これと同じことが起こります。
ネット上で無料で情報を得たり、娯楽作品を楽しみ続けると、無意識に人に対して労力を割くことが億劫になっていきます。その結果、仕事や人間関係におけるストレスが強まってしまうのです。
(仕事なども人に労力を割く一環なので)
このストレスによって、不幸な気持ちを抱えている現代人は多いでしょう。
ここまでは動画でも挙げておりますので、他の代償についてもお伝えいたします。
他にはどのような代償がある?
例えば、無償で娯楽作品を沢山観た場合の代償としては、「批判的な気持ち」「欠乏心」が代償として強まっていくことが挙げられます。
受け取ることへの感謝や貴重さが薄れるために、作品の足りてない部分がより一層、目につきやすくなります。
実際の所、それは作品が足りていないのではなく、自身の心にある作品を楽しむ気持ちが足りてない・代償により減ってしまっていることも多いでしょう。
また、代償であるこれらの「批判的な気持ち」「欠乏心」の影響は作品を楽しむことのみに留まりません。
人がした事や、もちろん、自分がした事に対しても批判心や欠乏心が現れていきます。
そのため、人がした事や自分がした事のアラが気になり、不幸な気持ちが大きくなってしまうのです。
あらゆる面で豊かになったはずの現代で、不幸な気持ちを持つ人が多くなっているのは、これらの代償を払っているためでしょう。
他には、無料で情報を得ることに対する代償についてです。
まず、代償になりやすいのは思考力や忍耐力だと思います。
例えば、植物を育てる場合にそのノウハウをネット上で得るとします。
すると、自身で目の前の植物を観察し、どのような対応が良いか?を試行錯誤する思考力や忍耐力が欠けてしまうのです。
また、その試行錯誤を楽しむ心も失っていきがちでしょう。
これは他のあらゆる分野の情報を無料で得る場合も共通のことだと思います。
これらは当たり前のことに思えますが、その背景には、カルマの法則があるゆえにそうなっていると思います。
このように、無料で何かを得ることに対して、確実に、代償はあります。
ただ、その一方、得た価値に対して代償は低く設定されているのもまた事実と思います。
お互いに無償で尽くし合うことを推奨するカルマの法則
カルマの法則の原理を簡単に表現するなら
お金のやり取りが無くとも、
相手に与えた価値より大きな価値が得られる
というものです。
お金のやり取りが無くても、そこにカルマの法則が働く、というのがポイントです。
そのため、カルマの法則は原理からして、お金のやり取りを介さずにお互いに尽くし合うことを推奨しているということです。
それゆえに、お互いに合意がある場合、無料の物を得ることに寛容であると言えるでしょう。
というのも、仮に、カルマの法則が無料の物を得ることに寛容ではないとしたら、与える側が相手を全力で助けることなどもしづらくなりますし(相手が未来に同じ量、奪われてしまうため)、受け取る側もずっと貧しいままだと思います(受け取った量と同じ量が奪われ続けるため)。
実際は、世の中はそうなっていません。
無償で提供し合うものが増えたことにより、知識なり、福祉などセーフティネットなどが増え、人類全体が豊かになり、また人類全体の知性は向上しているのが事実でしょう。
これらの事実を踏まえれば、カルマの法則は無償で物を得ること自体には寛容であると言えます。
また、詳細に言いかえれば、得た物の価値よりも低い代償としていると考えるのが適切と僕は思っています。
他者に何かを与えると、代償が相殺される
代償を相殺するのは、他者に何かを与える行為です。
例えば、自身が誰かにお金を与えれば、他者のために労力を割くことへの心理的抵抗は確実に減っていきます。
そして、長期的には人間関係における億劫な気持ちやストレスが減っていくでしょう。
また、人のために与えられる知識やスキルなども得られるでしょう。
他には、知識などを人に与えれば、自身が何かを試行錯誤して新しい知識を得たり、またそのような試行錯誤を楽しめる忍耐力や思考力が得られたりするでしょう。
仕事なども人に何かを与える行為ですので、それらを一生懸命やるのも良いとは思います。
ただ、この場合、大なり小なりお金という対価があるため、その分は《日常、無料で得ている分の代償》を相殺できていないかもしれません。
いずにしても、その仕事で得たお金を誰かのために使うようにすると、代償を支払って余りある、より大きな価値が得られるようになっています。
カルマの法則は、無料で得た価値より代償を少なくしている、とお伝えしていますが、また、自身が新たに人に与えたことによる価値の方を大きく観てくれているという事も言えます。
これは例えば、代償が心の中に泥として10蓄積していても、1の人に与えた行為で10の泥(代償)を掻きだすことができるということです。
もちろん、他者に与えた行為の価値により差は出ると思いますが、基本として、カルマの法則は他者に与える行為の価値を大きく観ていると思います。