「世界が良くなろうとする流れ」に乗るほどに人間は精神成長をしていけます。
人間の身体において、傷がついた時にはその傷を塞ごうとする力が働きます。
これと同様に、世界には、何かトラブルがあればそのトラブルを解消するための力が働きます。
そして、自身がそのトラブルを解消する側に回るほどに、世界が良くなろうとする流れを背に受け、自身の精神成長が得られるようになっています。
今回の記事では、世界が良くなろうとする流れについて詳細にお伝えしていきます。
世界が良くなろうとする流れとは、カルマの連鎖のこと
多くの人にとって信じがたいと思うのですが、人間は本質的に世界そのものであり、自身の精神構造は現実に投影されています。(自身の心に合わせて世界が創造されているということ)
また、地球上にいる何十億人もの人の精神構造が現実に投影されている結果、創造されているのがこの世界です。
それゆえに、誰か一人でも精神構造に良い変化を起こせば、その影響は、カルマの連鎖(世界が良くなろうとする流れ)として他の人達にも影響が及んでいきます。
さらに、他の人の精神構造(世界)に良い影響をおよぼそうとする人に対しては、より大きな世界(大きな自我)からの助力が得られるようになっています。
次に、大きな世界からの助力についてお伝えしていきます。
より誰かに貢献できるような知識や方法が得られる
無償であっても誰かのためになればなるほど、より一層、世界のためになれるような知識や方法が得られていきます。
また、それらは知識や方法だけではなく、「人に対してより良い影響をおよぼすような人格が与えられる」など、様々な形で与えられていきます。
また、いかなる場合においても、誰かのためになるような小さな行為は、誰かのためになれるより大きな行為へと繋がっているため、小さなことから始めれば、誰でも大きく世界のためになれるような何かが得られていきます。
具体例を挙げますと、誰かに野菜づくりのノウハウを教えて、相手がそれで助かったとします。
すると、自身はさらに野菜づくりのもっと良いノウハウを得ることができるか、さらには、野菜づくり以上に大切な何かを得られるでしょう。
(このように、相手に何かノウハウを伝えた場合、その分野を超えた領域において価値あるものが得られることは多いです)
それで、これらのプロセスにより自身に与えられるノウハウや知恵というのは、実際は、大きな世界(大きな自我)からもたらされており、実質、潜在意識などを通じてやってきています。
ただ、誰かに貢献するということを「行為が大切」という認識に囚われてはいけないとも思います。
というのも、1番の項でお伝えした通り、自身の精神構造の良い変化こそが良いカルマの連鎖(世界がよくなろうとする流れ)を起こすということになるからです。
それゆえに、自身の精神的欠点を克服することなどもその一つでしょう。
そのため、場合によっては、「感情を自制し、ただじっと座って何もしない時間を作る」などの事も、世界を良くすることに繋がっていたりします。
次に、自身の精神構造(カルマ)の良い変化が世界に良い影響をおよぼすプロセスについてです。
自身の精神構造が良く変わるほど世界は平和になる
自身の精神的欠点が「心配性」だったとします。
すると、その心配性を克服するために、世界には「人から心配をされても状況が改善しない人」が必要になったりします。
話をより具体的にしますと、心配性の母親がいたとして、母親が心配性である内は、子供の様々な面において問題が多くなりがちです。
これは母親・子供の双方にとっての学びに大切なプロセスです。
ただ、この場合の根本解決は、母親が心配性を克服することによって成されるでしょう。
そのためには、普段の、《心配から生じるような行動を封じること》の積み重ねにより、精神構造を変えていくことが大切になります。
そして、その影響は子供の状況に改善が見られるという形で分かるようになるでしょう。
このように、自身の精神構造の変化は、この世界に良い影響を及ぼします。
そのため、世界を良くしようとすることを、行為だけで捉えない方が良いでしょう。
また、これについて詳細に解説するにあたって、以前に書かせて頂いた文章を掲載しようと思います。
悪(不幸)が生まれる根本の原理
結論からお伝えすると、悪が生まれるのは悪行を行う人・悪行により被害を受ける人、両方にカルマの一致があるからです。
前世において誰かを奴隷扱いした人は、潜在的自我において「傲慢さ」「他者の気持ちに対する鈍感さ」などが形成されています。
すると、その潜在的自我を解消するために、今世においては誰かから奴隷扱いされる必要が生じます。
すなわち、これは、自身の事を奴隷扱いするであろう人をこの世に生むということになります。悪口を例にしてこの原理をお伝えすると、
Aさんが悪口を言う→悪口を言われるであろう要素がAさんの自我に加わる→BさんがAさんの悪口を言う
という流れがありますが、Aさんが誰かの悪口を言わなければ、BさんはAさんに悪口を言わずに済みました。
そのため、Bさんの悪行の責任はAさんにもあるという事になるでしょう。この原理を知ると、悪が消えていく原理が観えてくるように思います。
自身が精神成長することにより、人が悪を行わなくて済むよう未然に防ぐ
悪口を例にするなら、自身は悪口を言わないようにします。
すると、自身の事を悪く言う運命上(カルマ上の接点)にあった人が、自身の悪口を言わずに済むようになってくるでしょう。さらに言うならば、自身の無知を自発的に克服する事で、自身に無知を教えるための悪人を減らすことができます。
例えば、自身が欲や怠け心に溺れて詐欺まがいの投資話に乗ってしまった場合、その悪人は、自身に無知を教えるためにも出現しています。
実際の所、欲や怠け心が無いゆえに道理を理解できていたなら、その投資話がウソであるのが見抜ける上に、さらには出会うことすらも無かったでしょう。また、運命上、自身に悪行を行うはずだったカルマ上の接点がある人の進歩を間接的に促すこともできます。