カルマの法則では罰を受けることでカルマ解消が成されていくというイメージが一般的だと思います。
実際は違っており、カルマ解消は「気付くこと・学ぶこと」によって成されると考えるのが正しいと思います。
そのため、過去、過ちを多く犯していた場合でも、困難を最小限にして過去の過ちを払拭することができるでしょう。
今回の記事では、困難を経ることなくカルマ解消(精神成長)をする方法についてお伝えしていきます。
カルマの法則における罰が下る原理
誰かに言うことを聴かせようとして暴力を振るった場合、まずは自身に「人を強引にコントロールしようとする性質の自我」が生まれます。
そして、コントロールできない人に対してイライラしたり、そのイライラが相手に伝わり人間関係が悪化する中でカルマ(自我)が解消されていきます。
また、時には、同様の性質を持つ人によって暴力を振るわれることによりカルマが解消されることもあるでしょう。
ただ、実際の所は、困難を経験するだけではカルマは解消されていません。
上記の例を用いると、「人を強引にコントロールする事は良くない(そもそも、自身の考えが正しいとは限らない)」と、より深く理解するほどに、カルマは解消されています。
そのため、自身の感情的な考えを自制し、他者に対して真実(事実関係)に見合った対応をすることにより、カルマ解消が成されています。
この場合ですと、事実関係を辿れば、大部分において、相手は自身の言うことを聴く義務などはありません。
ですので、相手に感情的にあたるのは筋違いであり、感情を自制し、冷静に自身の要望を伝えるか、そもそも相手の自由を認め何も言わないままにしておくかなどが事実に見合った選択になるでしょう。
このように、過去の行為により出来た「人を強引にコントロールしようとする性質の自我」に反する行為ができるほどに、カルマが解消され、困難を経る必要が無くなるということです。
また、その自我は身近に接する人との人間関係でのみ解消可能というわけではありません。
他の行為によっても可能となっています。
良くない様々なカルマ(自我)を解消する方法
自身に「人を強引にコントロールしようとする性質の自我(カルマ)」があるなら、寄付(人のために無償でお金を役立てる行為)などもそのカルマの解消に繋がるでしょう。
なぜなら、人を強引にコントロールしようとする根底には利己性があり、自身のお金を無償で人のために役立てる行為はその逆である利他性が強くあるからです。
これは、人を強引にコントロールする性質の自我に反する行いであり、すなわち、寄付などはその自我を解消することに繋がります。
このように特に利他性の強い行為をすればするほど、人を強引にコントロールしようとする性質は解消される結果になり、その自我に伴った困難も起こる必要が無くなっていくでしょう。
他にも、常日頃の、自身の思考活動などもカルマ解消(精神成長)に繋がっています。
思考によるカルマ解消
広い意味においては、上記でお伝えしていた「自身の感情的な考えを自制し、他者に対して真実(事実関係)に見合った対応をすること」なども、思考によるカルマ解消と言えます。
(また、人生はカルマ解消をサポートするがゆえに、真実に合った選択は人生において良い結果を生みます)
他にも、偏見対象(自身が苦手意識を持つ人)をより深く理解しようとすることでカルマ解消ができます。
例えば、人を強引にコントロールしようとする性質の自我(カルマ)がある場合、日和見主義(自身の意見を言わない人)に対して、偏見を持つことが多いです。
「自身の言いたいことを言えず情けない奴だ」といった形です。
この場合、その相手の美点をよく観るようにします。
- 相手の気持ちを察する優しさがある
- 共感力はあらゆる能力のベースになる大切なものではないか
- 全体にとっては日和見主義の人がいるから回る部分が多い
など、です。
特に、相手(偏見対象)に対して苛立ったり、嫌な気持ちを感じた時ほどに、上記のようなことを考え、思い直すようにしていきます。
すると、上記の事を理解できている度合いに合わせて、すでにカルマは解消されていっています。
さらに、人生は精神成長(カルマ解消)をサポートしていくので、その考えが正しい事を自身に教えるような何かの出来事も起こしてくれるでしょう。
(例 日和見主義と思っていた人から助けられる、共感力の無さを理由に自身が少々の失敗をする、など)
このようにして、日頃の思考活動からカルマ解消は行うことができます。
そして、それらの積み重ねにより、大きな罰を受けることなく過去の過ちにより出来た自我(カルマ)を解消することが出来ています。
以下の記事では、今回の記事に関連して「嫌いな人間の幸せを祈ることでカルマ解消(精神成長)できる」という内容をお伝えしています。