カルマの法則を知ることにより、人類は途方もないほどの恩恵を受けられるでしょう。
戦争はもちろん、貧困や犯罪なども減少していき、究極的にはお金なども必要の無い『全ての人が全ての恵みを受けられる社会』が現実のものになると思います。
上部の動画では「競争社会よりも助け合い社会の方が豊かである」という内容に触れていますが、この記事にて、より詳細にお伝えしていきます。
前回は「カルマの法則はこの世の恵みも保証している」の記事にて、個人単位では善行により絶対的価値の高いものが得られるとお伝えいたしました。
(誰も見返りを与えてくれずともカルマの法則が見返りを与えてくれています)
では、次に、現在の競争社会の何が問題なのかについてお伝えしていきます。
欠乏への恐れが世界中に貧困を生じさせる
言わずもがな現在の世では資本主義が中心となり、お金のやり取りによって人々は自身にとって必要なものを得ています。
そのため、欠乏への恐れやその他、無知により、多くのお金を得よう・より多くを貯めておこうという意識が働いています。
限りあるものを世界中の人が保持しようと意識した結果、必要分のお金も得られない人も生む結果になっているでしょう。
ただ、これは資本主義の仕組みがあるから、欠乏への恐れがあるわけではありません。
「世界中の人にある欠乏への恐れ」が人類に資本主義を悪用させてしまっている一面があるということです。
外的な仕組みに原因があるわけではなく、原因は人間の精神にあります。
しかし、カルマの法則を人類が認知し、お金などあらゆる物を他者に分け与える事が普通になったらどうでしょうか?
誰もがカルマの法則に身を委ね、自身に何かを余分に蓄えておく必要がない事を知ったらどうでしょう?
当然、世界中の全ての人がより多くの富を受け取れるようになります。
それで、人間の精神の未発達が生む「欠乏への恐れ」は、競争社会を過激にしています。
これは本来、人類全体が享受できる富を大いに減らす結果になっています。
競争社会は冨の分断・助け合い社会は冨の共有と増幅
競争社会の問題点は人類全体での低い生産性にもあります。
例えば、上部の動画にもありますように、一つの分野で10万社以上の会社があるとして、それらの会社がしのぎを削ったら人的リソース・アイデア・資金などが分散し、生み出される物の質は下がる結果になります。
なぜ、リソースの全てを企業同士で共有しないのでしょう?
その方が共有された一つのアイデアを元に、より多く・より質の高いアイデアを現実化できるのは間違いありません。
特許なども人類全体で観たら、生産性を落とすだけの必要悪でしかありません。
(必要悪という言葉を使ったのは、現時点の人類にとって必要なのは間違いないからです)
競争社会というのは常に富の分断を意味していて、人類全体では恐ろしく非効率であるのが事実でしょう。
その一方、人間が資本主義以上にカルマの法則を基に行動する中で、助け合い社会になってくるとどうなるか?
簡潔にお伝えすると、ひとまず現れるのが、寄付により多くが成り立つ社会です。
このようになっている頃には誰しもお金のために働くのではなく、誰かのために働きたいから働く状態になっています。
そして、どこかに不足があれば、そこに寄付が集まり、人々が思う「こういうのがあったらいいな」が実現していきます。
例えば、近所に子供と親が自由に遊べるようなアミューズメントパークが欲しいなと、一定数の人が思えば、すぐにそれを実行できる企業・建設に携わる企業に寄付が集まり実現化していきます。
建設に使える材料なども世界中からシェアされているので非常に良質なものになります。
これらは実質、お金ではなく、人々の「他者のために働きたいから働く」という意識に支えられています。
また、アイデア実現の速度は現在よりも途方もないほどに速いものです。
労働環境なども人間同士の精神性が豊かなのでとても楽しく、また、常に人々が気遣いあい、シフトなども無理のない範囲で組まれるのでストレスは少ないものになるでしょう。
さらに、「カルマの法則はこの世の恵みも保証している」の記事でも述べたように、個人個人が潜在意識からの知恵を受け取ることができるため、より優れた力を発揮できるようになっています。
それのみではなく、ここから先は信じがたい話になると思います。
精神が進歩した人類の世界
潜在意識からの知恵を、大部分の人が当たり前に受けられるようになった場合、テレパシーのように遠く離れた人とも想念でやり取りすることが当たり前になっていくでしょう。
そのため、誰かが孤独に困窮して亡くなるという事も少なくなっていきます。
さらには、物質化現象という、想念が直接、物質として具現化するなどの事が当たり前に行われ、経済という仕組み自体が過去のものになっていく可能性もあるでしょう。
ただ、このようになるには障害がありまして、人々を包括している場は人間の想念というものが大きく絡んでおり、「大多数の人が信じている常識がある限り、それに逆らうものは出現しづらい」という作用が働いています。
また、これらの超常的能力(現在の世からすれば)を操る人が目立ってしまうと、人々の現実(成長の機会)を壊してしまうため、精神の進歩がこれらを行えるレベルにあった場合でも、行うことができないよう作用しています。
潜在意識の知恵に関しても「潜在意識からの情報が得られるなら、行方不明の子供たちも自由に探せるはずだろう」というのは真っ当な考え方なのですが、当事者や行方不明者を探す警察などの立場の方たちのカルマ解消機会(学びの機会)を喪失するほどの情報は、特殊な場合を除き得られないように制限がかけられています。
しかし、人類の精神の進歩が進み、物質的な不安から解放されるほどに物質による支配は終わりとなり、精神が大きく作用できる場に人類全体が属する結果になっていくでしょう。
おそらく、これは遥か遠い未来の事だと思いますが、いつかは必ずそうなると思います。
ただ、現時点の世が全てにおいて悪いというわけでは無いでしょう。
物質による支配があるからこそ、精神は進歩できる
物質に依存した資本主義の中にいるからこそ、物質を分け与える恐れが生じやすくなっています。
しかし、その恐れを克服するほどに精神は成長を遂げられるようにもなっています。
仮に、全ての人がカルマの法則を認知している状態であれば、その中で、他者のために尽くす事はとても簡単なことでしょう。それで得られる進歩はごくわずかです。
物質支配の世の中だからこそ、恐れを克服し他者のために与えることでカルマの法則の原理を確認しつつ、歩を進めていく事で得られる知性・精神の力は大きくなっていると思います。
続きまして、物質の多少に依存しない心を得るためには地球人的自我を解消する必要があるのですが、そのためには、他者のために尽くす過程が必要になります。
その代表各は寄付という概念になります。
「寄付の実践とその効果」については以下の記事にて解説しています。
物質化現象と言えば「あるヨギの自叙伝」という本で、ババジという伝説的な聖者が何もない野原に一夜にして黄金の宮殿を物質化したという逸話を思い出しました。
その他にも複数の肉体を持つ行者や、亡くなった弟子を生き返らせた大師の逸話など超常的な現象の事例が多く書かれています。
精神世界の向上があるレベルにまで達すると、こういったことも本当にあるのかもしれませんね。
コメントを頂き感謝いたします。
「あるヨギの自叙伝」という本は私も読んだ事があります。
この本の内容が真実かどうかは不明だと思っていて、そもそも、私自身、この『精神が成長した後の人類の魔法のような生活』に関する潜在意識からの情報に関しては、「ほんとかよ…」と完全に信じることが難しいのも事実です。
ただ、カルマの法則の原理を紐解いて考えると、確かに、そうなることもありえるか…というような感じです。
人間の意識の場というのは想像以上にパワフルで、人間の存在を根本的に定めているのかもしれません。
その意識の場の中にいる私達にはそれが当たり前に感じられるけども、その意識の場から抜けた時に、真実が見えるのかもと考えています。