100万冊の本を読むよりも、感情のコントロールが少しでも出来る方が優れた選択が出来るようになります。

というのも、そもそも人生が感情のコントロールにより上手くいくようになっているからです。

人生は精神成長(カルマ解消)のために存在するのですが、感情とカルマには密接な関係があり、人間は『感情と事実関係を分離させて考える』という事により優れた選択ができるようになっています。

今回の記事では、感情のコントロールの重要性についてお伝えいたします。

感情的な自我が取る行為=過去の過ちの産物

人生の中で、様々な形で感情が煽られるような出来事が起こります。
なぜかというと、感情的な自我を脱するためです。

というのも、この「感情的な自我」こそがカルマであり、過去の過ち(真実から外れた行為)によって出来たものだからです。

例えば、誰かに対して不当に暴力を振るうとします。
すると、自身の自我に「他者を強硬的に動かそうとする性質」が加わるか、より一層その性質が分厚くなります。
そして、その結果、他者から強硬的に動かされる体験にいたります。

具体例を用いると、ルールを守らない誰かを暴力で言うことを聴かせた場合、自身の自我に「言う事を聴かない人に対してより一層苛立つ性質(暴力を行ってでも言うことを聴かせたい性質)」が加わります。
そして、その結果、自身の強硬的な所が祟って、誰かにより暴力的に言う事を聴かされる体験にいたります。

これはよく観られるカルマ解消のプロセスです。

ただ、「他者を強硬的に動かそうとする性質」が染みついた後に、その、他者に対する苛立ちの感情を疑い、強硬的な自我による行動の一切を防いだ場合においては、最後の結末である、誰かに暴力的に言う事を聴かされる体験をする必要が無くなってきます。

人間は真実から外れた行為をした時に、感情的な自我を生みだしています。

上記の場合ですと、ルールを守らない誰かを暴力で言うことをきかせるというのが過ちであり、仮に、真実は「優しく諭しつづけ、自身の言う事を聴くかどうかは相手の自由意志にゆだねる」という事であったとします。
(真実は奥深いもので無数の段階があるものだと思いますが、仮に、これがより深い真実であった場合)

すると、真実に沿った「優しく諭す・相手の意志にゆだねるやり方」であれば自身の感情的な自我がいくらか解消され「真実とかけ離れた暴力行為」により感情的な自我がつくられるということになります。

そして、真実に沿った選択をする際には、ほぼ必ず感情的な自我を抑えなければいけない局面があります。

感情と事実関係を分離して考える事で、カルマ解消をする

今までの例を用いれば、ルールを守らない人に苛立った時に、「相手は自身の言う事を聴く義務が果たしてあるのだろうか」と心に問いかけます。

多くの場合、感情を別にして、事実関係を辿って考えていくと相手が自身の言う事を聴く義務など無いことが分かります。
すると、「ルールを守った方が良い理由」などを冷静に伝え、後は、相手の判断に委ねることが事実関係上、相応しいことが分かります。

すると、感情的な自我と事実関係に則った対応との差がある分だけ、カルマ(過去の過ちによる感情的自我)が解消されています。

このプロセスを別の例で解説させて頂くと、僕の家の娘の朝の支度があります。
子供が学校の朝の支度が遅い時に、感情的な自我は「なぜ、朝の支度が遅いんだ」と騒ぎ出します。

しかし、事実関係を辿れば、

『娘自身が学校に朝早く行きたいと言っているわけではない(むしろ、学校や社会、親がそれを娘に要求している)
それでも、娘は朝の準備をゆっくりながら進めている』

という明白な事実があります。

これらの事実に沿った対応をするのであれば、娘に対して、感情的に「早く朝の支度をしなさい!」と言うのは不当であり、その行為は感情的な自我を生じさせるでしょう。

むしろ、「社会に合わせて朝早くから学校に行く支度をするなんて、良くやっているなぁ」という視点で見る方が、上記の事実にあっているでしょう。

真実は深く、様々な答えがあると思いますので、僕の娘への対応の成否はさておき、感情的な自我が騒ぎ始めたら、それを落ち着け感情と事実関係を分離して考えることが大切です。

すると、人生上の出来事は感情的自我から脱することでより良い選択肢が選べ、さらには、人生は感情的自我から脱する過程で様々なことが上手くいくことが観えていきます。

解消した感情的自我(カルマ)の傾向に合わせ、未来の問題が無くなる

ルールを守らない人に強い苛立ちの感情を感じるなら、その自我が解消されるほどに、「人の行動を強硬的に支配しようとすることでの問題」は未来に消えてなくなります。

極めて当たり前の事だとは思うのですが、これは、事実として、感情的な自我が解消されると共に未来の問題が消えてなくなる事を示しています。

そのため、人生は、感情のコントロールにより優れた選択が出来る場と言えるでしょう。

ちなみに、「感情を自制することで無感情な人間になってしまうのでは?」と心配な人もおられると思います。

表面的自我の感情を自制できるほどに、潜在的自我の感情が現れる

基本的に、潜在的自我であるほどにより深い知性を持っています。
そして、表面的自我の感情的な行動を自制できるほどに、その深い知性に伴った感情が湧いてきます。

潜在的自我による感情の場合、表面的自我とは違う場面で感情がこみ上げることが多くなります。

例えば、自身と違う意見を聴いた時に喜びの感情が湧いたりします。
表面的自我による感情が優位であると、自身と違う意見を聴いた時などには反発心なども生じやすいのですが、潜在的自我による感情が優位であると喜びを感じたりするのです。

このように、感情を感じるポイントが違っていて、深い潜在的自我によるものほど深い知性(真実)に伴ったものです。

表面的自我における感情を自制することで無感情な人間になるわけではありませんので、そこは、安心して良いように思います。