あらゆる宗教では禁欲が教条に掲げられる傾向があります。

簡単に挙げますが、

・お酒を飲まない
・動物の肉を食べない
・性欲に流されない

などが代表的でしょう。

今回は、

『禁欲は摂理上どのような意味があるのか?』

について解説いたします。

結論から言うと、
禁欲そのものには精神進化を促進する効果はありません。

しかし、結果として禁欲が世界への善行になったり、
精神進化と共に意識的・無意識にしろ、禁欲をすることになるでしょう。

それで、世界各地の宗教で観られている禁欲の問題点は、

”禁欲によって自身が高い境地にいるかのように錯覚している”

という点です。

例えば、

食欲を封じることによって
自身の精神は洗練されていると思いがちです。

しかし、それは誤解であり、精神が洗練されるかはどれだけ他者のために身を尽くして貢献をしたかにかかっています。

そのため、食欲を封じただけでは精神が洗練されておらず、

「食欲に振りまわされている人への偏見」

を持ってしまい、食欲を封じたことで自分はすごいという優越意識を持ってしまいます。

実際は、食欲を封じたから自分はすごいと思っている限り、食欲という概念に精神が囚われている状態です。

問題の性質は、お金持ちが「自分はお金があるからすごい」と考えてエゴを作ってしまうのと同じです。

このように、禁欲だけでは精神にひずみを出してしまうでしょう。

上記の場合であれば、禁欲などできずに、
自身が食欲をコントロールできないがゆえに、
他者の食欲に対して寛容であり共感できる人間の方が、精神進化を遂げていることも良くあります。

ですので、禁欲主義である場合ですと、他者への貢献による良いカルマ(徳)の影響により、
ひとまず禁欲が破られる方へと導かれることがあります。

これは、食欲が湧いてきたり、
”食欲を抑えていないのに卓越した精神を持っている人”から感化されたりなど、様々な出来事によって起こります。

禁欲を過剰に見るのではなく、

『精神進化は禁欲ではなく、唯一、
他者への貢献によって行われる』

という事実を強く認識する必要があります。

もっとも良い形での禁欲というのは、

”精神進化を遂げたゆえに自然と関心が無くなる”

というものです。

この場合であれば、禁欲をしたゆえに、
他者に対して優越意識を持ち視野を狭める危険性は少なくなるでしょう。

ただ、精神進化を遂げる道のりで、
人によっては”食欲を抑えられない”ということが精神的欠点であることがあります。

この場合では、食欲を抑えることによって
良い結果を得られるように摂理により導かれます。

また、食欲を抑えることが楽しくもなるでしょう。

ですので、禁欲が楽しい内は禁欲が自身にとって最善ですので、他者への身を尽くした貢献の方を重視することを忘れなければ、禁欲を重視しても特に問題は無いと言えます。