”安い給料に見合わないほど多くの労働をする”という事に対しては、負のイメージが多いでしょう。
しかし、そこにも摂理の埋め合わせが働いています。
その人が給料以上に産み出した価値については、本質的報酬となって摂理により返ってきます。
下記のような、
・仕事を速くこなせる能力
・怠けることを嫌う性質(行動に対する億劫さが少なくなる)
・未来にはその過剰労働時に築き上げた能力が活かせるように摂理に導かれる
といった様々な形で報酬が得られます。
一方、高い給料をもらいつつそれ以上の価値を他者に提供できていない場合であれば、
・能力が落ち仕事がこなせなくなる
・怠けることが好きになる性質(行動に対する億劫さが増す)
・貪欲さや傲慢さが増してくる
(物的には恵まれている割に不当な扱いを
受けているように感じるようになってしまう。)
・未来には過小労働時に使っていた能力が活かせない方へと摂理により導かれる
といった様々な形で本質的に損失を抱えてしまいます。
『各自の物的報酬が、各自が産みだしている価値に見合わない』
というのは、人間的視点では不公平と見られるような事なのですが、実際は摂理が全て本質的に調整を取っています。
この世・あの世(霊界)・来世まで一貫して、
最高の財産となる「人格」に対しては、常に、
”物的報酬以上に他者のために尽力すること”
の対価は得られています。
とはいえ、
過剰労働が良いわけでもありません。
社内で自身が3人分働けば2人は怠けることになります。
すると、社内全体が自身に依存をしてしまうために、社内全体としては不安定になってしまうでしょう。
優れた人間に依存するほどに組織は崩れやすくなるものです。
そのため、自身の過剰労働が世界にとっての善とまでは言えないのが事実でしょう。
(他者の分まで働いたことは相応に報いられますが)
仕事だけで貢献をしようと思えば、必ず、そこに空回りが産まれてしまうのです。
しかし、寄付による実践をしている人であれば、過去のカルマが解消されるに従って、
過剰労働によって世界にひずみを作るリスクは減ってきます。
例えば、社内で3人分の仕事をこなせる能力を持ち、部下を持つ立場である人がいます。
以前までは部下の分まで仕事を抱え過ぎて、部下の能力とやる気を下げていた所が、
寄付による実践などで精神進化を遂げると、部下を信頼し任せられるようになっていきます。
すると、徐々に部下が成長していくことになります。
世界(社内)全体としては、
自身が3人分働く以上に良い結果になるでしょう。
『給料以上に働くことで摂理による埋め合わせがあり、精神進化を遂げられる』
というのは事実ではありますが、仕事だけで世界貢献をしようとすれば、相応のひずみが産まれていきます。
お金の使い方などからの実践であれば、
極力、こうした仕事だけでの貢献による空回りは防ぐことができるでしょう。
世界にひずみを産まない形で、
世界貢献ができるようになっていきます。
ちなみに、過剰労働をせざるえない環境が与えられるのは、
必ず、過去に蓄積した負のカルマ(エゴ)の解消として与えられています。
その場合でも、お金使い方による実践ができるのであれば、
”過剰労働をせざるえない環境”は消えてなくなるでしょう。