人間は世界の誰かを犠牲にして幸せになること自体は可能です。

これが「エゴな幸せ」ですね。

ただ、その幸せは精神の進化と共に消えてなくなる運命にあります。
他者への善行をすればするほどエゴな幸せは消えていくのが摂理の働きです。

エゴな幸せの中にいた人であるほど、その幸せが解消される道のりを過酷に感じるでしょう。

例えば、

ギャンブルさえできれば何もいらないとばかりに、家族をないがしろにしていた人がいるとします。

この人はギャンブルをしている時は幸せを感じるかもしれません。

しかし、その幸せがある限りは、視野が狭まり続け、家族の気持ちなど理解できないでしょう。

ですので、この場合では、
摂理はギャンブルによる幸せを取り除く方向で導いていきます。

他者への善行に身を尽くし、良いカルマを産むほどにそうなります。

ギャンブルは極端な例に思えるかもしれませんが、
誰しもエゴな幸せを追い求めていて、いくらか、それらに依存しています。

それで、「エゴな幸せ」には特徴があります。

その幸せを追い求めた時には、誰かに迷惑をかけ、必ず、世界にひずみを出してしまうということです。

一方、「本質的な幸せ」にも特徴があります。

その幸せを得た時には、必ず、他の誰かをより本質的な幸福へと導き、世界全体に良い影響を出していきます。

そのため、精神進化を遂げるほどに、エゴな幸せを追求していたのが、
本質的な幸せを追求し世界全体の善に一役買うことになります。

また、本質的な幸せというのは、
その人が持つ知性や固有の使命の達成度合いとも関係しています。

例えば、知性が上がれば上がるほど、

・他者からどう扱われようが、それが幸福度に関係しなくなる
・人生をどのように生きたら良いのか分かるので、道に迷うことが無くなる
・出来事に一喜一憂しなくなる
・摂理の保護の完全さが理解できる

といった状態になっていきますので、
何にも揺さぶられない本質的な幸せとなっています。