エゴでは恐れるような身を尽くした善行をするほどに、
人間には精神の進化が与えられていきます。

寄付などはその1つであり、資本主義下では、
他者のために身を尽くす場合ではどうしてもお金による実践が大切になります。

寄付の実践によって世界へ貢献できた場合では、
精神の進化という形での本質的報酬が摂理により与えられると下記のページで書かせて頂きました。

資本主義と摂理の関係

今回では、

『なぜ、他者のための善行の中でも寄付による善行が大切なのか』

といった事をお伝えいたします。

結論からお伝えすると、

”自身の善行が空回りに終わっていることに気づくまでのスパンを最小にできるから”
(精神の進化を最速にできるから)

ということになります。

人間は悪い人間ばかりではありません。

ですので、誰しも大なり小なり、他者のために良かれと思って行動しています。

母親が子供のことを心配をして世話を焼く場合でも、母親にとってはそれは善行なのです。

しかし、”母親にとっての善行”は子供にとって迷惑なだけであることがあります。
また、子供は迷惑と思わなくても、結果的に子供のためになっていないことがあります。

この場合では、
「その行為は子供のためになっていない」
という事実に気が付くまでの道のりが長くなってしまいがちです。

子供のためにお世話をし続けて、20年後、成人した時に自立心が育っておらず、
何もかも人のせいにするような子供になってから自身の善行が空回りに終わっていたことに気が付くのでは遅すぎるでしょう。

寄付による実践をするほどに、20年後ではなく、
5年、3年、1年、時には3か月で、自身の善行で空回りに終わっていた部分を知ることができるのです。

一方、寄付による実践が無いと、自身の善行が空回りしていても中々気が付かないでしょう。

ただ、結果的に空回りしていても純粋な愛情からそれをやっていた分だけ、
関係者全員にとって最善な結果に繋がっています。
とはいえ、かなり厳しく遠い道のりになるでしょう。

なぜ、このように、
寄付による実践が無いと善行の空回りを通して、進化において遠回りしなくてはならないのでしょうか?

様々な理由がありますが、大きくは下記の理由によります。

1 世界全体から観た時に、自分の手による善行にこだわるのは合理的ではなく、
自分よりも優れた善行をしている人にお金などを提供し力を与える方が合理的だから

2 摂理は”自身の身を削った貢献”を高く評価していて、
お金の面で身を削れない分は、時間や労力によって身を削る必要が出てくるから

3 お金の使い道によって社会が構築されていて、
それらが大きなカルマとして自身の精神に反映されているから

1から解説させて頂きます。

例えば、自身が起業をすることで、世界に貢献しようと考えている人がいるとします。

そのために1000万円が手元にあります。

しかし、世界全体を見渡した時に、自身の起業のために1000万円を使うよりも、
もっと困窮している人達のために1000万円が使われれば、何十人単位の命が助かることがあります。

この場合では、起業のためにお金を使っても、何十人の命が救われたというほどの結果は出せません。

ですので、起業に1000万円を使うよりは、
すぐにでもお金が行き渡らなければ困る人達のために使った方が世界全体としての恩恵は大きかったということです。
(しかし、寄付による実践をした末に起業に行きつくのであれば、そのビジネスは世界にとって最善と見られています)

摂理はこれらを評価していて、

自身のビジネスや自身の手による善行にこだわって世界を犠牲にする人よりも、
自身の力を過大に見ずに自身よりも優れた貢献をしている人に
寄付として力を与えられる人間の方を高く評価しています。

そのため、後者の方が精神の進化は大きくなりますね。
得られる視野(知性)は広大な範囲に及ぶでしょう。

次に、

2について解説させて頂きます。

大前提として理解しておきたいのが、
”摂理は他者のために身を尽くせる人格を持つ人間を育成しようとしている”ということです。

そのために、仕事・恋愛・結婚生活・子育て、全ての分野が、他者への献身により成り立っています。

善行による結果と同様に、他者のために身を尽くせる度合いを高く評価しているため、
お金による実践が無い場合であると、エゴを削り切れていない分を時間や労力によって他者に身を尽くしていく必要があるのです。

大なり小なり、全ての人が、
お金を含めた貴重な物を他者のために使い果たせなかった分を、
時間や労力によってを尽くしていく道のりをいっています。

しかし、仕事などでもそうなのですが、
時間や労力を誰かのために使った所で、どうしても、
見返りを求めてしまうだけのエゴは残りつづけます。

寄付による実践を全力でやった場合では、
見返りを求める気持ちがあまり無い状態で仕事などに取り組みやすくなり、
見返りを求めない精神の強さを築けた分だけ
「世界全体にとって良い活動」ができるようになっていきます。

次に、

3について解説させて頂きます。

寄付も同様ですが、買い物なども社会に影響を与えています。
「どこにお金を使うか?」によって社会は変わっていきますね。

危険な添加物の多い物を買う人が増えれば、添加物を作る会社や使うメーカーが増えていきます。

手間暇をかけて丁寧に作られた物を買う人が増えれば、手間暇をかけて丁寧に作るメーカーが増えていきます。

このように、お金の使い方によって社会が変わる以上、
その結果によるカルマも産まれていて、お金を使った側の精神に影響が返ってきています。

ただ、世界を意識した買い物による実践以上に、寄付による実践から始めるのが大切です。

理由は2で解説させて頂いたことに関連していて、
買い物は見返りがあるという点で保身になってしまい、その分、空回りが産まれるからです。

また、寄付により全力で実践をしていった結果、自然と買い物の質も変化していくことになります。

以上が、寄付による実践から始めることで、善行による空回りが防がれる理由です。

ここまで寄付による実践が大切であることについて書かせて頂きました。

ただ、下記には、

1 寄付による実践ばかりを続けられない理由

2 寄付は身近な人の自由意思を尊重しながら行う

についてお伝えいたします。

まず、1についてです。

寄付による実践を始めたばかりでは、やればやるほど、
様々な出来事が起こり、精神の進化が促進されます。

また、これまでの生き方や寄付先によっては、
寄付をするほどに収入が上がることで返ってくるかもしれません。
(これまでの生き方や、寄付先が良いから、収入で返ってくるわけではありません。)

しかし、そのまま物的報酬が有り続けると、
寄付による実践が下心からの実践になってしまうため、精神を保護するため摂理は物的報酬を断ち始めますね。

そのまま物的報酬が無い中で寄付の実践ができるかを判断されることになります。

そして、寄付の実践により必ず、寄付に対する精神的依存も出来ています。

「寄付をすれば精神的進化が起こる」
「寄付さえできていればいい」

といった精神進化を障害する依存も摂理により断たれます。

そのため、段々と寄付ができない状況になっていきます。
それと引き換えに本質的進化はどんどん大きくなっていきます。

それで、もう寄付は出来ないといった状況になった場合、
独自の貢献法が見つかるように摂理が導いてくれます。
(独自の貢献法が見つかるまでの期間は過去の生き方によります。
過去にエゴの蓄積が大きかった人であるほど長い傾向があります)

寄付による実践は大切なのですが、それは実践初期であるほど大切になります。

寄付による実践が全力で出来るようであれば、その人独自の貢献法(使命)が与えられます。

次に、2についてです。

摂理とは各自の自由意志を何よりも尊重しています。
善行がいかに大切といっても強引にはさせてはいけません。

そのため、寄付による実践なども身近な人の自由意思を尊重しつつ行う必要があります。

家計を共にしている人が寄付を止めるよう求めているにも関わらず、
止めなかった場合では、自身の精神に対して、傲慢さや視野狭窄などが産まれペナルティの対象となってしまいます。
(ギャンブルなどとは違い、使い道が世界全体のためになっている分、比較的軽度になりますが)

身近な人の自由意思を尊重できる範囲で続けていくことが大切になるでしょう。

身近な人の自由意思を尊重しつつの実践していくと、摂理が最善としているペースに近づいていきます。