資本主義に見られるような
「人に提供した価値の対価として報酬がもらえる」
という仕組みは摂理が元になっています。
摂理では、他者(世界)のためになる行為をした時に、
「人に提供した分の価値は、優れた人格へと向上することで反映される」という仕組みがあります。
人間は誰かに助けてもらった時に、何らかのお礼をしたいと感じます。
その根底には摂理があり、それらを具体化していった末に、今日見られるような資本主義が出来上がっていきました。
例えば、
・沢山のお金を持つAさん
・人を助ける活動をしているBさん
の二人がいます。
Aさんが、自分では助けられない人を助けられるBさんに対して、
お金を与えることで、Bさんがもっと誰かを助けられるようになりました。
すると、Bさんは恩を感じて、Aさんに対して謝礼を渡したいと思います。
このように出来たのが、資本主義に見られる株式投資の仕組みなどです。
摂理と比較すれば現在の資本主義はお粗末ですが、今なお、摂理の完全な仕組みを表現するよう進化を続けています。
次に、
現在、どの点で資本主義はお粗末なのか?
を解説いたします。
資本主義では社会的に必要とされる場所に投資を行う際に、
必要なタイミングで必要なお金を出した人に対し、投資利益としてお金が返ってきます。
一方、
世界でもっとも困窮した人達に対してお金を与える人がいます。
この人に対しては資本主義は何も返さないことがほとんどです。
一見、与えっぱなしに見えるでしょう。
しかし、実際の所は、
資本主義が未熟である分のギャップは摂理が埋めてくれるということです。
むしろ、資本主義が未熟であるほどに資本主義では報いられないような善行に対し、
本質的に価値があるものを摂理が与えてくれます。
例えば、
お金を慈善団体に寄付をします。
この団体が実際に誰かを助けてくれた場合では、寄付をした人に対し、
1寄付した分のお金、または、お金を稼ぐための力
2お金に執着せずに済む人格
3本質的な物の見方ができる知性
4霊的な存在から与えられる、自身の知能を超えた高度な知性
などが摂理により与えられていきます。
自然と湧いてくる場合もありますし、それが身につくような出来事が引き起こされることもあります。
いずれにせよ、必ず、そうなりますね。
上記に1~4番までの番号を振りましたが、数が大きいほどに本質的な価値があります。
現在の世では、寄付した分のお金・お金を稼ぐための力は価値が高くみられがちです。
しかし、この時点ではまだお金に精神が囚われている状態であり、
お金を超越した視野が持てるほどには精神が進化していません。
そのため、世界への貢献度合いが高く、また、
物質的見返りが無い善行であるほどに、お金を超越した視野が持てるように進化へと導かれます。
それらが2、3、4などの本質的な報酬となります。
また、寄付による善行などでお金やお金を稼ぐ力が過剰に得られてしまうと、
「もっとお金が得られる」といった下心による実践をし続ける人間を多数産んでしまい、
仮に、そんな仕組みだとするなら摂理は破綻してしまいます。
実質、資本主義では報われないような身を削った善行に対し、
摂理が与えてくれる本質的報酬というのは、お金よりも遥かに価値があるものです。
そのため、精神の進化の道のりにおいては、寄付による実践がもっとも有効と言えるでしょう。
(寄付による実践もずっと続けることはできない点や寄付の実践の特徴などについてはこちらのページでも解説しております)